布団かぶり、「説得」に抵抗
被害者の体験と目撃現場(7)
履物を引っ掛けて出る余裕もなく靴下のまま表に飛び出したその日は小雨模様で、外の階段は湿っていた。部屋に連れ戻された時は、靴下はもとより身に着けていたスウェットパンツやポロシャツも、泥水につかったように汚れてしまっていた。
母親は警察官が駆けつけてくる前に、すぐ荻窪栄光教会の小岩牧師に電話をしに行ったようだった。翌日の午後には小岩牧師がやって来て、舞さんを責め立てた。
「あんた卑怯だ、逃げることしか考えていない。家族は、こんなに心配してあなたを説得しようとしているのに、あんた何を考えてるんだ。大切な事は一つも考えずに、閉じ込められていると言って、問題を転嫁している」。
夜にはナルド会のメンバーらがやって来た。「そんなことばかりしていて、ここから出られると思っているんですか」「あなたのしていることは原理から考えても間違っている」などと激しく迫ってきた。
舞さんは布団に入って寝たふりをするだけで、何の対抗もせず言われるがままにした。靴下だけは脱いだが、それから5日間ほど、汚れたポロシャツなどはそのままのかっこうで過ごした。
カゴの外に出て自由になる一縷の望みをなくした小鳥のように、監禁されているんだという現実が重く心に覆いかぶさってきた。「これで監禁は厳重になる」「もっときつく当たられる」「もっと責められる」「一生囚われの身で過ごさなければいけないのか」などと、悲観的なことばかりを考えた。
一方で、舞さんの脱出の試みは失敗したが、家族にとっては思いもよらない行動だったのか、相当のショックを与えたようだった。のちの解放につながる一事だったと見ることもでき、舞さんは、両親や弟の「お姉ちゃんがこんなに嫌がっているのに、やらなくてはいけないのか」という苦衷を推し量っている。
責め立ててきたのは、両親ではなく牧師と元信者だった。舞さんはその後、だんまりを決め込んで心を通わそうとせず、昼間でも横になっていることが多くなった。小岩牧師やナルド会の人たちは、家族のいる部屋で事後のことを色々と打ち合わせていたようだった。
監禁生活も3か月を過ぎようとしていた時、部屋にテレビが運びこまれ、「エホバの証人」の批判ビデオや米国人牧師の協会批判ビデオを見せようとした。ビデオを見ようとしない舞さんに対し、小岩牧師は、わざわざ字幕を読み上げて聞かせようとした。
舞さんはその後も寝たふりをして応えないためか、小岩牧師が姿を見せるのは週2、3回から1回程度に減った。ナルド会の人たちも「いつまで黙り込んで、だだをこねているの。1年ぐらいここにいるつもりなの。まあ、こちらは1年でも3年でも一生でもいいですけどね…」と捨て台詞を吐くようになった。
沈黙を続けることが、舞さんにできる、最大の抵抗だった。
(「宗教の自由」取材班)