調査報道こそ生命線である


麗澤大学教授 八木秀次

300-3 昨年は新聞の信用を落とす大きな事件が起きた。言うまでもなく、日本のクオリティーペーパーを自負していた朝日新聞が、日本軍が慰安婦の強制連行をしたとする吉田清治証言に関する一連の記事を初報から32年も経って取り消し、併せて東日本大震災の際の東京電力福島第一原発で所長命令に反して大半の所員が職務を放棄して逃げたとする昨年5月のスクープ記事も取り消した。これにより、社長が記者会見で謝罪し、後に辞任する事態となった。慰安婦に関する誤報は日本の信用を大きく傷つけ、現在も国際社会に誤解が蔓延(まんえん)している。

 一連の記事の背景には日本は過去に悪いことをしたに違いないという思い込みと日本を貶(おとし)めたいという心根があるように思うが、福島第一原発に関する記事も、自らの命も顧みず事故に対応し世界中から賞賛された所員を冒涜するもので、日本人はそんなに大した存在ではないという冷笑的な心性が背景にあるように思う。

 朝日新聞が信用を失墜させ、販売部数を落としたのは当然の報いだが、影響は朝日にとどまらなかった。朝日から離れて他の新聞に移った読者は少数で、新聞の購読自体を止めた読者も多いという。それでなくても止まらない新聞離れを加速させたということだ。さらに深刻なのは、購読は止めなかったものの、読者が新聞の中身を読まなくなったということだ。

 先頃行われた衆議院の解散総選挙に関して、朝日、毎日、共同通信配信の地方紙は「大義なき解散」「七百億円の無駄遣い」などと批判キャンペーンを展開した。しかし、選挙は与党の圧勝という結果をもたらした。これは読者が新聞の論調の影響をほとんど受けていないことを物語る。総選挙翌日の朝日社会面の大見出しは読者に声が届いていない悲鳴のようにも見えた。これ自体は社会が健全化していることの現れのようにも思えるが、新聞の存在意義が大きく問われているということでもある。

 そんな中での世界日報の役割を考えてみよう。確かに大手紙に比べれば部数は小さい。しかし、その存在意義は何と言っても、調査報道の秀逸さだ。昭和57年の教科書検定に関する各社の誤報をいち早く指摘したことは知られているが、昨年も朝日の吉田証言に関する記事16本の内、朝日が明らかにしていない記事を特定する報道をした。文部科学省作成の道徳副教材『私たちの道徳』の教育現場での使用状況を調査した報道は国会質問につながっている。日々の時事的なニュースは通信社配信のものに依拠し、それは彼らに任せて、今後も調査報道に力を注いで欲しい。世界日報の生命線はここにあると思うからだ。

 また、私が愛読しているのは、最終面のメディアウォッチだ。新聞、週刊誌、月刊誌、テレビなど広く目配りしつつ、鋭く斬り込む記事は他の新聞にはできない企画だろう。今後も他のメディアの間違いを指摘し、世論の正常化に努めて欲しい。世界日報には、小なりといえども、新聞はこうであるべきという姿を示してくれるものと期待している。