「韓国にノーベル賞受賞者は出る」


 科学者の中には「俺はノーベル賞を取るために研究している」という人もいるだろうが、それは少数派ではないか。研究に没頭し、その結果もたらされた実績でノーベル賞を得たというケースがほとんどではないか。もちろん、ブックメーカーは毎年、ノーベル賞週間前には各分野の有力候補者を挙げ、誰が今年受賞するかをオッズで予想するから、その候補者リストに挙げられた科学者は当然、受賞を意識するだろうが、ノーベル賞はあくまでも科学者が立ててきた功績への評価であって、研究の動機とは成り得ないだろう。

 さて、ノーベル賞週間が始まり、生理学・医学賞と物理学賞で日本の2人の科学者が受賞された。1年で2人、それも別分野で受賞したのは快挙だ。日本国内は喜びに沸いているだろう。

 日本人科学者が受賞する度に、隣国・韓国では「なぜ俺たちは」といった類の嘆き節が聞かれ、メディアも24人のノーベル賞受賞者を持つ日本に強い劣等感を感じる記事を掲載する。特に、「先端科学技術ではわが国は中国より先行している」と確信してきた韓国に、中国人が初の自然科学分野で受賞したことが伝わると、韓国メディアの嘆きは例年にないほど深刻になった。韓国の中央日報日本語電子版が「中国までノーベル賞の隊列に」というタイトルの記事を掲載し、韓国聯合ニュースは6日、「日本が韓国に比べてノーベル賞受賞がずば抜けて多いのは歴史的・制度的な背景と文化的な差などがあるためだ」と報じている。

 韓国は旧日本軍の戦時中の慰安婦問題を追及し、日本に対する韓国の「道徳の優位性」を誇示してきたが、ノーベル賞受賞では隣国日本の「知的優位性」に歯ぎしりをしているともいえるかもしれない。

 中国の李克強首相はノーベル生理学・医学賞を受賞した屠ユウユウ氏(85)への祝電の中で、「中国の医学が人類の健康事業に大きく貢献しているという事実を証明した」(韓国経済新聞)と興奮しながら祝ったという。

 ノーベル賞は個人、ないしは団体に主に贈呈される賞だが、同時に、「人類への貢献」を実証する機会ともなる。だから、中国首相の「わが国が人類に……貢献した」という発言は正直な表現だろう。ノーベル賞受賞は受賞した科学者だけではなく、国の誇りとなるからだ。

 韓国国民がノーベル賞週間で味わう一種の対日劣等感は、決して「知的優位性」云々ではなく、「人類貢献度で遅れを取っている」という現実に直面することから湧いてくる自然の感情ではないか。とすれば、韓国国民はそれを隠す必要はない。「人類への貢献」を励みとして頑張ればいいだけだ。

 今年、生理学・医学賞を受賞された大村智・北里大特別栄誉教授は熱帯の人々を襲う風土病(寄生虫病)の画期的な治療薬を生み出した功績が評価された。同教授が生み出した薬で数億人の人が失明から救われたという。教授は人の為に尽くしたいという思いが人並み強いという。

 大村教授だけではない。青色発光ダイオード(LED)を開発してノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の天野浩教授は受賞直後の記者会見で「人のために役立ちたかった」と述べている。iPS細胞の生みの親で2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥・京都大教授も「早く難病患者の治療に役立ちたい」と語っているのだ。

 韓国人は陸上競技でいえば100メートル、200メートルの短距離選手が多いのではないか。その瞬発力、爆発力はすごい。パリパリ(韓国語で「早く早く」)と目標に邁進していく。しかし、長距離競争となると事情は異なる。力を出すところは発揮し、節約するところは無駄なエネルギーの浪費を避けながらゴールを目指さなければならない。計画性と組織力が勝敗を決める。

 朝鮮日報日本語電子版8日付の「記者手帳」には「師弟3代40年間、日本の科学力を支える『根気強さ』」というコラムが掲載されていた。そこでは梶田教授がノーベル賞を受賞するまでのプロセスを紹介している。「日本の物理学の父・仁科芳雄から始まり、湯川秀樹と朝永振一郎が生まれ、朝永の研究は弟子の小柴昌俊氏、戸塚洋二(東京大学特別栄誉教授)に引き継がれ、今回の梶田氏の受賞となった」と解説していた。

 朝鮮日報記者の解説記事は韓国の科学開発で不足している問題点を間接的だが正しく分析している。韓国の科学者たちが人類への貢献を願い、根気強く研究を重ねていくならば、ノーベル賞受賞はそう遠くない将来に実現すると確信する。

(ウィーン在住)