隗より始めよ 韓国から


地球だより

先日、一時帰国してビックリしたのは、日本人の韓国に対する認識がひどく厳しかったことだった。実家の近くに住む兄の家に寄ったら、義理の姉が「パク・クネは歴史を知らな過ぎる!」と珍しく鼻息を荒くしていたし、旧友に会ったらカバンから韓国批判を展開している新聞や雑誌のスクラップを取り出し、「おまえ、韓国に居て大丈夫か?」と真顔で心配された。

 韓国社会にどっぶり浸かっていると、いつの間にか日本の雰囲気が実感できなくなっていることに気付く。こちらにいると韓国人は「日本はケシカラン」と言うが、日本に行けば「韓国は何を考えているのか」といぶかしがる。特に歴史認識では「日本の常識は韓国の非常識」で、その逆もしかりだ。日本では『「近くて遠い国」でいい、日本と韓国』というタイトルの本まで出版されるくらいで、このところの日韓関係は確かに尋常ではない。

 日韓どうあるべきか――は何十年間もの課題だが、気に食わないからといって切り捨てるわけにもいくまい。何を隠そう、20年連れ添った韓国人妻を持つ我が家でも、こと歴史問題になると双方譲らずで、そのたびに“緊迫感”が2人の間を漂うが、一つ屋根の下に暮らすためか家庭内紛争は短期戦で終わり、事なきを得ることがほとんどだった。

 安倍晋三首相はいつでも対話に応じると言っているが、朴槿恵大統領は首脳同士が会う前に解決すべき問題があるとしてこれを拒んでいる。自分が決めた原則に徹しているのだろうが、重たい議題ではなく、まず相手の顔を見て話をし、ムード作りから始めるのも指導者の仕事。韓国識者も言っている。「隗(対話)より始めよ」と。

(U)