金正恩氏が恐れる「全身麻酔の世界」
ベテランの医者はニッコリしながら「基本的には局部麻酔ですが、患者が要望すれば麻酔なしで手術できます」という。眼科手術(網膜剥離)とはいえ、麻酔なくして眼球に手術のメスが入るのは快いものではないだろうと考え、「局部麻酔でお願いします」ということで落ち着いた。なにか、レストランで「天丼にしますか、牛丼ですか」と聞かれているような気分になった。
手術中は眼球は開いたまま。メスの動きも分かった。1時間余りの手術中、六フッ化硫黄ガス(SF6)ガスが注入される頃は意識が薄くなった。「手術完了」ということで、手術台から部屋のベットに移され、手術室から部屋まで運ばれた。16年前のがんの手術ではもちろん全身麻酔だったので、目を覚ました時は集中治療室にいたことを思い出す
ここで局部麻酔と全身麻酔の話をするつもりはない。北朝鮮の金正恩第1書記が足首の骨を骨折して手術を受けたという記事を読んだ時、「正恩氏は局部麻酔を受けたはずだ」と思った。同時に、「正恩氏が大きな手術で全身麻酔を受けたらどうだろうか」と考えたからだ。
全身麻酔の場合、数時間の手術となるだろうから、正恩氏は目が覚め、はっきりと意識が戻るまで少なくとも5、6時間はかかる。独裁者がその間、不在ということになる。もちろん、手術する医者は麻酔の量を増やすこともできる。独裁者が目を覚まさないようにしたければ、量を増やせばいいだけだ。果たして、独裁者は全身麻酔が必要な手術を受けることができるだろうか……、これが今回のコラムのテーマだ。
具体的に考えてみよう。祖父・金日成主席の場合、心臓手術を受けたが、全身麻酔だったはずだ。彼のベットの近くには息子金正日総書記がいただろう。「全身麻酔の間、息子は自分を守ってくれるだろう」と、金日成主席は安心して目を閉じただろう。
その孫の正恩氏の場合はどうだろうか。局部麻酔の場合は問題ではないが、全身麻酔の場合が問題だ。李雪主夫人や実妹(金汝貞)らが手術室前で手術の終わるのを待っているとはいえ、「目を覚ました時、果たして依然、独裁者であり続けるだろうか」といった一抹の不安を正恩氏は払しょくできないだろう。独裁者が払わなければならない代価といえ、正恩氏は独裁者の孤独を感じるはずだ。
ところで、金日成主席、正日総書記、そして正恩氏の手術は外国人医者団を招いて執刀されているが、これは決して医学水準の問題だけが理由ではない。独裁者は平壌の医者団を完全には信頼できないからだ。だから、大金で招いた西欧の医者団のほうが無難という結論になるわけだ。
当方は「金正恩第1書記が朝鮮人民軍の潜水艦部隊第167軍部隊を視察し、潜水艦に乗艦した」と聞いた時、「金正恩氏が潜水艦に乗艦した時」(2014年6月18日参考)というタイトルで同じテーマを扱った。陸を離れ、潜水艦に乗艦するということは独裁者にとって危険が伴う行動だ。独裁者の周囲にはもはや数人の側近しかいない。一方、陸には独裁者を憎む大多数の国民と乗艦しなかった軍・党関係者がいる。潜水艦が水上に浮かび上がった時、正恩氏は依然、独裁者であり続けるだろうかと考えたのだ。
30代の正恩氏は「不自由な体」であると世界に公表したばかりだ(北の朝鮮中央テレビ25日夜)。足首の手術ではなく、全身手術を受けなければならない時が差し迫っているのかもしれない。
このように考えると、北朝鮮の政情は「金正恩氏がいつ全身麻酔を受けるか」にも依存していることが分かる。その意味もあって、当方は局部麻酔と全身麻酔を体験した先輩として、金正恩氏に「全身麻酔の世界」を伝えたかった次第だ。
(ウィーン在住)