建国記念の日、国柄の出発点再確認しよう
きょうは建国記念の日。大和を平定した初代、神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で即位されたと言われる日である。平成最後の建国記念の日であり、5月には皇太子殿下が新天皇に即位され改元が行われる。御代替わりの時を迎えようとする今、建国の歴史と、父祖たちが国造りに懸けた理想に改めて思いを致したい。
万世一系の皇統が柱
わが国の国柄は、神武天皇以来連綿と続いてきた万世一系の皇統を柱としている。天皇親政の時代から、貴族、武家、そして現在の民主主義の時代と、実際の政治権力者は絶えず交代してきた。世界の王室を見ても、王朝交代や革命によって多くが消えていった。しかし、わが国の皇室は歴史の荒波に耐えて存続し続けている。
その理由を、直接の政治権力から離れたところにいたからとする論があるが、実際に政治権力を行使した時代もあった。それよりは、政治権力を超えた権威と尊貴さがあったためとする方が正確だろう。
先の大戦の敗北で、日本は史上初めて外国に占領された。国際法違反の疑いのある占領下での新憲法制定によって、天皇は明治憲法で規定された「統治権を総攬(そうらん)」する立場から「国民統合の象徴」となり、政治的権能は有さないと規定された。
米軍を恐怖に陥れた日本軍の敢闘精神の源が、天皇にあると考えた連合国軍総司令部(GHQ)が、天皇の政治的権限を剥奪するしかないと考えた結果である。しかし、日本人の心の中に占める天皇、皇室の存在は揺るがなかった。
「国体の護持」は、日本がポツダム宣言を受諾するか否かを決断する時の最大の焦点だった。昭和天皇は、国体変更を心配する大臣や重臣に「心配するな、大丈夫だ」と語られ、ポツダム宣言受諾を受け入れさせられた。終戦の詔勅(しょうちょく)にも「茲(ここ)ニ国体ヲ護持シ得テ」との言葉がある。
新憲法は、天皇の法的な位置を大きく変えたが、天皇、皇室の歴史的な権威や日本民族のDNAに刻まれた天皇の存在を変更することはできなかった。敗戦にもかかわらず、わが国は「国体を護持し得た」のである。
天皇と皇室が日本人の心の大きな拠(よ)りどころであることを最も端的に示したのは、2011年の東日本大震災で、天皇陛下御自ら、テレビを通じ全被災者と国民に語り掛けられ、慰め激励されたことである。時の首相や政治家の言葉とは全く次元の違うものを多くの国民が感じ、勇気づけられたのである。
われわれが普通に受け止めている日本的な慣習や常識も、突き詰めていけば、この国柄に帰着するのではないだろうか。
4月30日には天皇陛下が退位され、翌5月1日に皇太子殿下が新天皇の位に就かれる。それとともに改元がなされる。一世一元の制度は明治から始まったが、国民が天皇とともに時代を生きるという感覚を持つ上で優れた制度と言える。
歴史からの学びが大切
新しい御代に替わっても、皇室を中心とした日本の国柄を守っていきたい。そのためには、伝統の価値を絶えず再確認すること、そして歴史からの学びが大切であると痛感する。