米軍岩国基地、朝鮮半島にらんだ要衝の地
岩国市議会議員 前野弘明氏に聞く
米軍再編に伴い神奈川県の厚木基地から山口県の岩国基地(米海兵隊岩国航空基地)への空母艦載機部隊の移転が今夏から始まった。これまでの米軍関係者を含め艦載機の兵士や家族、軍属含めて1万人規模の米軍関係者が岩国に住むことになる。岩国市議会議員の前野弘明氏に、その意義と課題を聞いた。
(聞き手=池永達夫)
基地が誇りの岩国市民
「国守る」、沖縄と違う基地認識
制空権に絡む空軍の役割は大きい。極東の安全保障の要となる岩国基地の存在意義はどういうものか?

まえの・ひろあき 昭和28年4月29日、岩国生まれ。広島大学理学部物理学科卒、高村正彦衆議院議員秘書。平成3年、岩国市会議員初当選。議会では建設常任委員長、経済常任委員長、副議長歴任。座右の銘「誠実貫徹」。
地政学的には基地から飛び立てば、朝鮮半島にすぐ行ける。ここは前線基地として要衝の地だ。
今回は、空母艦載機部隊の岩国移転ということだが、訓練基地としても機能するのか?
訓練基地というより、ここに待機して空母が来たら飛んでいって着艦する訓練・待機場所となる。
だから乗組員はこちらに住むことになる。勤務になったら、まず硫黄島まで行って、そこで着艦訓練をやってOKが出たら空母に飛んでいく。
着艦で失敗は許されない。それで一定期間、現場を離れると着艦訓練が義務となっている。
着艦は上空から見るとそれこそ、米粒のような場所にスッと下りていかないといけない。空母では機体のフックを3本のロープのどれかに引っ掛けないといけない。しかも、大海に揺れている空母に合わせる必要がある。
空母艦載機の着艦訓練場は硫黄島?
そうだ。本当は、岩国から南西400キロの鹿児島県大隅諸島の馬毛島(まげしま)で着艦訓練をしたい意向がある。
ただ、馬毛島の自治体が反対しているから今は難しいが、いずれ使用できる見込みだ。何より馬毛島は硫黄島より近いので訓練するには最適だ。硫黄島は遠いので1回、訓練したら帰るだけとタイトだ。
今春、北朝鮮が日本海にミサイルと落とした時の写真に、金正恩・朝鮮労働党委員長が開いた地図が注目された。発射基地を中心軸に落ちた地点を通るようにコンパスを回すと、ちょうど岩国と重なっていた。軍事専門家によると北の狙いは、岩国基地もターゲットになっているとの威嚇がそこにあるとのことだが?
そういうことだろう。戦略的要衝の地にある岩国だから。
ただ、岩国にはミサイル発射基地がない。これは離れた所から撃ち落とすシステムになっているはずだ。
そもそも、迎撃ミサイルというのは発射してすぐ撃つのがいい。さらに弾道が頂点に達したしばらくの間が一番遅いから、そこを狙う。その役目を担うのが高高度防衛ミサイル(THAAD)であり、パトリオットPAC3だ。
艦載機の兵士や家族、軍属含めて1万人規模の米軍関係者が岩国に住むことになる。
軍人の家族や軍属を含めれば、そうなる。結局、13万7000人の人口の13分の1が米軍関係者で占められるということになる。
沖縄ほどではないにしても、岩国市民と米軍との摩擦が生まれることは?
沖縄の人たちと岩国の人たちの米軍基地に対する考えというのは基本的に違っている。
岩国の人は日本の国を守ってきた基地があることが誇りだ。一方、沖縄では多分、終戦後、米軍がどっと入ってきて、植民地みたいな支配をした状況があったから、意識的にも違うものがあるのは仕方がない。日本に来る軍人の中で、多くの軍人が赴任先が岩国と聞くと喜ぶという。岩国市民が基地に対して友好的だからだ。
ただ何機来るから、いくらよこせというお金の計算ばかりに走っていたら、これは違うことになってしまう懸念がある。
要はなんでも補償すればいい、お金さえ出せば何とかなると、そういうことではまずい。日米安保条約の下で日本は安全が保たれている。その現実を全く無視するようなことはできない。それを使って日本はどうするのかということを考えないといけない。
日米の信頼が重要だ。
米国と一緒になって平和をつくり出すことができる良きパートナーとして、どう振る舞うかが大事だ。
さらに、日本こそ世界平和に貢献できるということを文化的にも納得してもらう。そういう発信ができないとだめだ。そういう場所をつくれたらいいなと思っている。
個人的には明治維新150年を題材にいろいろやりたい。
維新後に日本が世界で取った行動というのは、自分の国のことだけを考えていたわけではなかった。
維新の原動力となった部分で、日本人には発想の限界があって、それを補ってくれた人物がいた。その一人が、米宣教師のグイド・フルベッキだ。
勝海舟とか西郷とか龍馬とも付き合いがあったが、彼は新しい日本の展望を語りながら、維新ができる環境をつくっていった経緯がある。
それで一番象徴的なのが、岩倉使節団に全世界を回らせたことだ。それを企画したのがフルベッキだった。日本人に世界を見させて、世界でどういうことが起きているのか、日本はその中で何をすべきか、自分の頭とハートでしっかり捕まえてほしいということだった。
維新がうまく回転していった背後には、こうした人物がいたのだ。
そもそも岩国基地ができた経緯は、どういうものだったのか?
旧日本海軍の山本五十六・連合艦隊司令長官が岩国に海軍航空隊設置を決めた。これが現在の岩国基地になった。
それはどういった地政学的な条件があったのか?
まず天候的な条件が良かった。1年365日中、1日か2日程度しか霧が立たない。常に有視界飛行ができる非常にいい天候条件があった。
さらに軍港呉と非常に近く真向かいにあるというのも、地政学的条件としてかなった背景がある。
呉には戦時、日本海軍鎮守府が使用した臨時「指令本部」があった。岩国の基地はこれを守る格好の場所となった。