建国記念の日、誇るべき神話時代からの連続
きょうは「建国記念の日」。筑紫(九州)の日向から東征し大和を平定した初代神武天皇が、畝傍(うねび)山の麓、橿原の宮で即位された日である。
国の礎が定まったこの日を祝うとともに、建国の歴史に思いをはせ、日本の現在と未来について考えたい。
生き生きとした建国物語
近年下火になったものの、かつては左翼歴史家やいわゆる進歩的文化人が、声を大にして建国記念の日に反対してきた。史実の科学的証拠がない、戦前回帰、軍国主義復活につながるなどと批判した。
このような意見は一見学問的な装いを持つものの、本質的には、日本の建国が皇室を中心としたものであることを認めたくない、反天皇、反皇室の左翼勢力の政治的動機から生まれたものであった。
今では同調する人は少なくなった。左翼歴史家は、日本の建国が神話や古い伝承の形で語られていることを何か劣っていることのように強調したが、むしろ誇るべきであることを国民は知るようになった。
古事記、日本書紀を繙(ひもと)けば、建国をめぐる神々や英雄の物語が、実に生き生きと描かれ、非常に含蓄に富んでいる。そして何より驚くべきことは、神話の時代から現在に至るまで、万世一系の皇統が連綿と続いていることである。
わが皇室におかれては昨年、天皇陛下が御高齢で公務を十分に果たせないとの御心痛から、退位の御意向を表明された。国民は大きな衝撃とともに受け止めた。
政府は退位問題を検討する有識者会議を設置し議論を進めているが、簡単に結論の出せない問題であることが浮き彫りとなった。問題の難しさが、天皇そして皇室がいかに国家と国民にとって大きな存在であるかを改めて認識させる結果となった。何より、皇室が日本国と国民のアイデンティティーの拠り所であることを考えれば、当然の成り行きと言える。
そこで考えさせられるのが、歴史教育の重要性である。歴史教育は必ずしも学校で習うものに限らないが、基本はやはり学校の授業である。韓国では日本統治時代を経験した年輩者より、反日教育を受けた若い世代の方が反日感情が強いことを見ても、歴史教育の影響の大きさを痛感する。
日本の歴史においても道を誤った時代があった。その事実は直視すべきである。いたずらに自国の歴史を美化するのは、文化的な国民のすることではない。過去の過ちからは学ばなければならない。
だが、おかしなことにわが国では、自国歴史を誇ることを遅れていることのように考える傾向があった。これは、左翼の自虐史観的な発想が、知らず知らず国民の意識に刷り込まれた結果であった。
真正な歴史認識が重要だ
今も中国や韓国との間に横たわる歴史問題についても、自虐でも美化でもない真正な歴史認識をベースに解決に取り組むべきである。
それを無視した政治的な妥協は、将来にわたって禍根を残すことになる。