千葉大生の少女誘拐 心創らぬ大学までの教育

大人社会にも問題提起

 最近の新聞で驚くべき少女誘拐事件の実態が明らかになった。

 2年半ぶりに親の元に逃げ帰って保護された朝霞市の少女(15)誘拐事件で、なんと犯人は千葉大学工学部の卒業間近な学生・寺内樺風容疑者(23)であることがわかった。

 それも家出願望のマニュアル本を参考に、少女の両親にメモを書かせ、「家も学校もちょっと休みたい。さがさないで」とか、「元気に過ごしている。迷惑かけてごめんなさい。しばらくは帰らない」など、親を安心させるような手紙を書かせて捜査の手を逃れていたのだという。

 埼玉県警が捜査を進め、徐々に誘拐犯の実態が明らかになってきたが、大学工学部の学生が、犯罪と知りつつ行った今回の行動が、われわれ年配者には理解しがたい犯罪行為であり、いったい彼の親や大学教授、高校までの学校の教師らは、教育で何を教えていたのかと言いたくなる。

 大学側は「懲戒処分に当たる疑いがある」として、学生懲戒委員会を設置し、彼の卒業を留保し、休学扱いとしたようだ。

 工学部学生として大学を卒業し、知的社会で活動できるはずの若者が、どうしてこういう過ちを犯してしまったのか。

 寺内容疑者は少女誘拐2年半に及ぶ犯罪がどういうものか、理解しなかったのだろうか。

 若者は時に思わぬ間違いを犯すことはある。

 しかし、寺内容疑者は少なくとも4年間の大学で普通以上の教育を受けて立派な工学技術者となったはずだ。両親もまたそれを期待しただろう。

 教育を受けたくても受けられない、貧困の浮浪者と違うのだ。

 自分の行いが、大きな犯罪であることも知っていたはずである。

 今回の寺内容疑者が犯した少女誘拐事件は、われわれ大人の社会にも問題提起をしている、と言えないだろうか。

 少子化社会が既に問題であるが、戦後70年を振り返り、われわれ大人社会は真の魂の入った人間教育をしてきただろうか。

 振り返ってみて、この異常な若者を育て上げた日本の社会に、また教育に、大きな責任があるのではなかろうか。

 異常な若者が、心豊かで人間性ある社会から生まれることはないのだ。

 知性と判断力、人間性豊かな思いやりのある家庭の中で育ち、幼少からの学校教育で、人を傷つけ、不幸にすることが善か悪かの判断力は、生まれて以来の家庭と学校教育で教えられて人間は育つのである。

 不幸にも寺内容疑者にそれがなかったのではなかろうか。

 自分の行為が犯罪であり、自分の一生を狂わせることになるのも知っていたはずである。

人間性豊かな日本人に

 寺内容疑者は、工学部学生として人並み以上の教育を受ける幸運も理解していたはずだ。

 その彼が少女誘拐2年半年間という、大きな犯罪を犯してしまったのである。

 県警の捜査が進めば彼の犯罪の動機や成長の背景はわかってくるであろうが、二度とこのような不幸な犯罪は起こして欲しくない。

 そう思うのが被害者の親であり、子を持つ家庭の父母たちであろう。

 国の将来の命運は一人一人の肩に掛かっている。人間性豊かな日本人の心に立ち戻って、教育を健全なものにすることである。

 人の心を創る教育だけが、それを果たすことができる。その使命と責任を忘れないでほしい。