ストに苦しんだ教師 日教組の8割動員指令

体を張った吉田教育長

 私の母校・藤女子大学の講堂で「教師の道・師範塾」を開いている人物がいる。

 元北海道教育長・吉田洋一氏がその人で、まだ教育長の現役時代に、新渡戸稲造の研究家でもある友人N氏の紹介で、初めて教育長室に同氏を訪ねた。

 拙著「世界に誇る日本の道徳力・二宮尊徳90の名言」を贈呈しながら、私の教師時代に北教組(日教組系)の婦人部長を断っても命じてくるので1年だけと引き受け、“北教組の天皇”と呼ばれていた委員長に、「公立学校教師は教育公務員で教育を守るのが仕事、ストは違法であるから止めて欲しい」と会談の度に発言すると、「石川先生のように、皆さんも率直な意見をどんどん出して欲しい」と言われ、不思議に思ったことなど話した。

 さらに北教組と道教委の間に「協定書」があり、それが正常化を妨げていることもあげた。

 北海道公立学校教師3万余を率いる北教祖委員長が、執行部と反対の意見を出すことに驚いた私は、後日、埼玉県で高校の校長になった北海道出身者に話すと、彼は「それは大野委員長の本音だったと思う」と言うのを聞き、彼も正しい教育を望んでいたのだと納得した。

 翌年、道教委が問題の「協定書」を破棄したと新聞に報道され、その紙面をN氏に見せて吉田教育長の勇気ある決断を2人で喜んだ。

 後日、退任された吉田氏に再会すると、氏は満面の笑みを浮かべ、「協定書」破棄を語った。それは行政担当者の責任を全うし得た会心の笑みだった。

 長年の北海道教育の上に垂れこめた灰色の雲を取り払った吉田教育長の決断は戦後教育の荒廃を進めた北教祖を完全に抑えたことになる。彼は体を張って未来の子供達を守ったのだ。

 行政官の勇気ある決断は未来への明暗を決める鍵となることを、私達に知らせたのだ。

参観日の午前中ストに

 かつて教育大学附属中学校教師の夫が、道教委指導主事となって道内各地を廻った時期に、私も教職を辞し、夫と共に3人の子らのPTAとして、地方の学校に協力した。

 その間に見た驚くべき地方の北教祖(日教組)の実態は、想像以上に教師達を苦しめた。“道徳”、“主任制”反対の闘争(ストライキ)は新学期始まって間もない5月の始めに行われた。

 その日は小学5年の娘の参観日で、5時間目の授業参観に出かけた私は担任教師の疲れ切った様子を不審に感じたが、その謎は帰りの会で反省する日直生徒の一言で解けた。「今日は午前中4時間先生がいらっしゃらなかったので、僕たちは騒ぎました。これからは先生がいなくても騒がずに勉強しましょう」。

 その言葉に驚いた私は、続く学年懇談会で主任教師から組合ストの言いわけがあるだろうと期待したが、父母に対するその説明も無く学年懇談が終わったので、これは教育者の正義に悖る、と感じ、急いで帰宅して、PTA役員を引き受けていた上の息子の担任に電話を入れて説明を聞いた。

 そこで初めて午前4時間のスト8割動員指令が北教祖からあり、教員不在の理由がわかった。

 若い教師は言った。「5年生の主任の彼は学校班の班長ですよ」と。

 それを聞いて私は電話を掛け直し、主任を呼び出して1時間近くも話した。かつて私も組合執行部時代に私の責任で、同校教師全員をスト現場から始業時に間に合わせて帰したと。

 彼はそれを黙って聞いていた。

 そして最後に力なく言った。

 「ボクも北教祖を辞めたいです…」と。

 公立学校教師は教育公務員である。

 父母、国民の税金で大切な子供たちの教育を、父母に代わって行う責任を負っているのだ。

 子供達はその日、午前4時間の大切な授業を失い、負の遺産として子供達の心に残る。

 教師らはその責任をどう考えたのだろうか。