広がるソフトパワーで存在感増す台湾(下)
伝統に裏打ちされた技術が源流に
ひと口にソフトパワーといっても一朝一夕になるものではない。独自のソフトパワー形成の背景には、当然、長い歴史の上に積み重ねられた伝統文化や国民的気質の存在が不可欠だ。東アジアの一角に位置する台湾もまた今、悠久なる歴史の中でソフトパワーを増幅させ、独自の発展と繁栄を遂げようとしている。そのソフトパワーの源を探ってみた。(湯朝 肇)
東アジアの平和と繁栄の構築に貢献
「台湾の伝統芸能は、大陸から海を越えて持ち込まれた音楽などをベースに多様な発展を遂げてきました。そこからは、演劇や音楽ばかりでなく工芸や雑技に至るまで中国から伝わったものが台湾の温かい風土の中で洗練され、伝統的な技術・技能として次世代に受け継がれてきたのです」――こう語るのは、中華成人遊泳教会の栄誉総会長であり、宜蘭国立伝統芸術センターのボランティアガイドを務める陳栄坤さん。台湾北東部にある宜蘭県にある同センターには台湾国内で継承されてきた演劇、舞踏、音楽、建築、工芸などすべての伝統民俗芸能が集まり、それらは実演を含めて総合的に紹介されている。
もっとも、開設されたのは2002年と意外に新しく、センター内は一つのテーマパークの様相を満たしながら、全体的に庭園風のつくりで落ち着いた空間となっている。24㌶の広さを持つセンター内の施設は宜蘭地方を流れる冬山河の岸辺を利用した景観体験エリアと集落エリアに大きく分かれる。とりわけ集落エリアには展示館や演劇館、曲芸館、戯曲音楽と工芸の伝習所、図書館、宿舍、民芸工房街、文昌廟(びょう)などが立ち並び、屋外の舞台や人気の高い「伝統小吃坊」(小吃とは、小皿料理やおつまみのこと)も街並みと溶け合って、楽しい散策コースとなっている。
筆者がここを訪れた5月上旬の金曜日の午後は、文昌廟の向かいの舞台でコミカルな伝統劇が繰り広げられ、観客の小学生たちが笑い転げているのを見ると、「パソコンゲームやスマホに熱中する日本の子供たちとは違う」というある種の驚きの感覚を抱いてしまう。
陳さんによれば、宜蘭はもともと伝統的な芸術に深く関わりのある土地で、台湾歌仔戯(台湾オペラ)の発祥の地であり、演劇博物館「台湾戯劇館」やわら細工の鑑賞・体験ができる「珍朱稲芸術村」など民俗芸能の盛んな土地であったという。こうした古い歴史を有する伝統芸能に裏打ちされた台湾人の感性が近代化の流れと結びついたとき、大きなソフトパワーの源流として大きなうねりを呼び起こすのであろう。
開設まで8年の歳月を要したという同センターを訪ねると、外国人でも台湾の古き良き昔にタイムスリップした感じになるが、台湾人の文化的気質に触れるには最適な場所である。
ところで、外国人訪問客が台湾・台北市で見物したい一番の候補に挙げるのが国立故宮博物館といわれるが、実際に訪れてみてそれが分かる。まず、人の多さ。おおむね博物館といえば日本では来場者数はそれほど多くない。人気のイベント展示でもオープン時は1000人も来れば大成功である。ところが、故宮博物館の一日の来場者数は平均1万人を超え、年間400万人を超えるというから驚きだ。中国大陸からは連日バスを仕立てて観光客がやってくる。ボランティアガイドが、台湾国立故宮博物館をフランスのルーブル博物館、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと並び世界4大博物館の一つに挙げるのも納得する。
故宮博物館の人気の秘宝は、同博物館が誇る「翠玉(すいぎょく)(エメラルドのこと)白菜」、豚の角煮そっくりの天然石の「肉形石」、幻の超絶技巧が生んだ緻密な象牙細工を施した「雕象牙透花雲龍紋套球」、紀元前4700年~2900年の作品で勾玉(まがたま)の原型とされる「玉猪龍」となっているが、それらのブースが近づくとボランティアガイドの声も一段と高くなる。
そもそも故宮博物館の設立は1925年に遡る。戦前は日本軍の圧迫を受け、戦後は中国共産党の追撃など戦火をくぐり抜け中国各地を転々とした末に台湾に移転した故宮博物館は1965年に中央博物院籌備(ちゅうび)処と合併され、現在の場所に建造された。所蔵数は独自に収集した6万点を加え約69万点に及び、そのうち常時約2万点を展示、特に有名な展示品以外は3~6カ月に一度入れ替えるという。
ちなみに収蔵品を全て見るには10年かかることになるが、展示品の中で何よりも意義あるものは、歴代皇帝の“玉璽(ぎょくじ)”であろうと筆者は考える。すなわち、“玉璽”の展示は、歴史の主流であり、正当な後継者は「大陸中国」ではなく、この「台湾」であるという気概を感じてならない。そして、この気概こそが東アジアの一角からソフトパワーを発信する原動力であると思われる。
さらにもう一つ、台湾のソフトパワーにとって不可欠なものがあると考える。それは、日本との関係である。台湾の日本統治は1895年から始まり1945年まで50年間続く。
しかし、その統治50年間に対して日本を恨む声はほとんど聞かれない。むしろ、日本の統治時代に行った水田開発や農業振興、ダム開発事業、教育などには肯定的に受け止められている。現在の台湾には、世代を超えて日本への関心は高く、あらゆる分野での交流や連携を望む親日家が多い。ちなみに書店には多くの日本の雑誌が並び、各地の観光名所にはいまだに日本統治時代の建物が残っている。
今回の台湾訪問で国立故宮博物館の近くにある東呉大学を訪れる機会があった。そこで日本語学科に通う女子大生の1人が流暢(りゅうちょう)な日本語で次のような質問をしてきた。「日本の学生と政治や文化についていろいろと話し合いたいが、日本の学生は政治に関心がない。何故なのか」といった具合だ。彼女は茶道部にも所属し日本文化についてもよく知りたいという。
日本も台湾も自由主義という同じ価値観を有した島国で、しかも互いに貿易立国。両国間のわだかまりが少ない分、信頼構築は比較的スムーズにいく。そうした中で両国がともに発展し、東アジアの平和と安定に貢献しようとすれば、さらなる協力と連携が求められる。そのためにも、両国が互いの歴史や文化をより深く理解し合うことが必要であり、それこそが両国のソフトパワーを飛躍させる起爆剤になりうると考えられる。