建国の大統領・李承晩 寂しい誕生日の祝膳


韓国紙セゲイルボ

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3月28日、シンガポールの故リー・クアンユー初代首相に哀悼を示すため、遺体が安置された国会議事堂前に長蛇の列をなす人々(AFP=時事)

 貧しい港街を世界4位の金融センターとして育て上げたシンガポールの国父リー・クアンユーが死去した。このアジアの巨人も権力を世襲させ、息子、娘、嫁が政・財界を押さえ、市民生活にまで介入して批判を受けた。それでも国民はリー・クアンユーを誇らしく思っている。彼がいなかったら今日のシンガポールは存在しないことをよく知っているためだ。

 中国の国父・毛沢東は重大な失策を2度も犯した。大躍進で数千万人を餓死させ、文化大革命は中国を最小限10年は後退させた。それでも天安門には彼の大型肖像画が架かっており、紙幣に描かれているのは彼だけだ。毛沢東が中国歴史の中心に生きている理由は簡明だ。「功が7で過が3」であるためだ。

 韓国はどうか。李承晩(イスンマン)は大韓民国建国の大統領だ。一生涯を祖国の独立と自由民主主義国家建設にささげ、共産主義から国を守った。彼がいなかったとすれば、今日の韓国が存在するのか疑問だ。

 過ちも多かった。学生デモで追放され、独裁者の烙印(らくいん)を押されたが、功が過より小さいとはいえない。だが、記念館一つなく、教科書は彼を独裁者と非難する。「過去の否定だけでは歴史は成立しない」というのに。

 3月26日は李承晩誕生140周年だった。祝膳は記念事業会だけで行った。大統領、国務総理、与野党指導者の誰も関心を持たなかった。国民も無視した。これこそ過去否定、歴史否定ではないのか。

(白永喆〈ペクヨンチョル〉論説委員、3月27日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。