仏新聞社襲撃、表現の自由侵すテロを許すな


 まさに民主主義社会への挑戦である。フランスの風刺週刊紙シャルリー・エブドのパリ本社が銃撃され、12人が死亡した。民主主義を支える柱の一つが表現の自由である。それを暴力で踏みにじろうとする今回の事件は、絶対に許すことはできない。犠牲者に深い哀悼の意を表するとともに、政府が各国の治安・情報機関と連携し、テロに対しては断固たる措置を取ることを再確認して防止に全力投球するよう要望したい。

 風刺漫画家らを殺害

 同紙がテロの標的となった理由として考えられるのは、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を載せたことだ。殺された12人は風刺漫画家らで、事件はフランスの伝統文化への挑戦だとも言えよう。風刺は17世紀の喜劇作家モリエール以来、フランス文化の重要な一角を占めてきた。フランス革命の歴史を誇る国民は、風刺をあらゆる権力や不寛容と闘う、表現の自由の象徴と見なしている。

 シャルリー・エブドは他紙よりもどぎついカラー漫画が売り物だ。同紙の編集方針は表現の自由を盾に一切のタブーを認めないことで、大統領、極右政党やカトリックも風刺の的としてきた。2006年にはデンマークで物議を醸したムハンマドの風刺画を転載した。

 事件に対して翌日のフランス各紙は追悼と怒りであふれた。また、フランス社会は「表現の自由を守れ」という声で結集し、全土で計10万人が参加したデモでは「私はシャルリー」と書かれたプラカードが掲げられた。われわれも表現の自由こそ民主主義の土台であるとの信念からデモを支持する。

 確かに信仰する者にとって、預言者や教祖への侮辱的な表現は許し難いものであろう。その心情は十分に理解できるとしても、信教の自由は表現や言論の自由とセットで守られるべきものだ。表現の自由を侵害すれば、やがては信教の自由の抑圧にまで及ぶことは不可避である。

 同時にテロリストによって表現の自由への脅威が高まっていることをわれわれは認識し、警戒を強める必要がある。1991年に筑波大助教授が殺害された事件は未解決のままで記憶に新しい。原因はイランの死刑宣告を受けた英作家サルマン・ラシュディ氏の著作「悪魔の詩」を翻訳したためとみられる。

 今回の事件にわれわれはどう対応すべきか。これは一部の過激派が引き起こしたものであり、イスラム教やイスラム社会全体への偏見を助長させることがあってはならない。

 フランスでは極右政党・国民戦線(FN)のルペン党首が事件について「イスラム根本主義者の犯行だ。みなが悲劇にショックを受けている」と述べた。ドイツではこのところ反イスラム・デモが広がっているが、事件を利用して勢力を伸張させようとする極右勢力の動きにも注意しなければならない。

 水際対策強化で防止を

 日本でも空港や港でテロリストの入国を未然に防ぐ水際対策を強化する必要がある。また、各国政府との情報交換を密にしてテロに万全の対策を講じるべきだ。特に国内のフランス関連施設への警戒が求められる。

(1月10日付社説)