「吉田調書」報道/御用機関と批判もある朝日第三者機関見解の限界
◆実態を知る参考資料
朝日新聞の東京電力福島第一原発事故をめぐる今年5月の「吉田調書」報道について、同社の第三者機関が「内容に重大な誤りがあった」「公正で正確な報道姿勢に欠けた」などと指摘し、記事取り消しを「妥当だった」とする見解を発表した(12日)。これとともに、木村伊量(ただかず)社長が12月に引責辞任することに、先の小欄(18日付)で増記代司氏は「これをもって幕引きにするのはあまりにお粗末だ」と論評した。小欄でも重ねて、この問題を考えたい。
第三者機関の見解は、「重大な誤り」とした朝日記事の評価、取材と記事掲載の過程、掲載後の対応まで一連の経過について、そつなくフォローしている。外形的に見ていけばそういうことになろう、と一応の説明にはなっているが、それ以上のものではない。とはいえ結構、社内の実態を知る参考材料も提供してくれて興味深い。
見解を読んでの最大の驚きは、問題記事の紙面化にあたり当初、朝日のゼネラル・エディター(GE)が「間違いなく一級の特ダネ」だと推奨した、これほどの記事の基本データ(吉田調書)を取材記者2人以外に当のGEをはじめ誰も読んでいないこと。朝日ブランド生産現場の編集過程は、呆れるほど杜撰(ずさん)な薄ら寒い実態をさらけ出したのである。
だからこそ、見解を報じる各紙が「吉田調書報道『重大な誤り』」(読売13日)を見出しに立てる中で、朝日の誤報を指摘してきた産経(同)は、見出しで「吉田調書読み込み2人」をとり、あれほど「スクープ」として報じていながら調書そのものを読んでいたのは取材記者2人だけというお粗末な実態を強調した。
◆チェック機能を喪失
吉田調書全文の写しはA4判で約400㌻の分量。見解は、2人のデスクである担当次長は大分量の吉田調書を瞥見(べっけん)したが、精読しなかった。取材記者ら作成の抜粋と2人の説明だけで済ませた手抜き。上司の特報部長は特に調書の閲覧すら求めず、GEは調書閲覧を求めたが、調書を精読しなかった担当次長に情報源秘匿を盾に断られると、それ以上突っ込まなかったことなど、官僚化した編集幹部らの情けない姿を浮き彫りにしている。
取材記者以外、誰もまともに調書を読んでいないのだから当然、チェックもされようがない。そんな中でも、GEが「間違いなく一級の特ダネだと思った」と後押しして記事掲載に向かい協議が進んでいった。その構図はまさに漫画だ。
さらに、記事組み込み当日の当番編集長は、その職責から当然のことだが、調書を見せるよう要請した。しかし、これも担当次長に断られると、あっさり引き下がってしまう情けなさ。編集部門の出稿各責任者が皆、何に遠慮しているのか及び腰で、チェックのないまま記事を素通ししたに等しい対応は、著しい職務怠慢でないとすれば、あとは「間抜け」というほかない。チェックが働かないという新聞社編集局としての、基本的な機能を喪失した状態の中で新聞制作が“暴走”していったのである。
見解はこれらの状況について「担当次長は読むべきだったし、遅くとも記事の紙面化が具体的となった時点では、紙面に最終的に責任を持つGE、上司である特報部長そして当日の当番編集長は少なくとも記事に関する調書部分を精読すべきであった」と指摘。編集局の機能喪失の責任を「取材記者2人と担当次長の3人のチームを過度に信頼し、任せきりの状態だった。部長とGEがその役割を的確に果たさなかったというほかない」と、その責任を問うてはいる。
しかしその先、GEらがその役割を的確に果たさなかったのはなぜか? という問題の核心までは掘り下げなかった。第三者機関とはいうものの、このあたりが「朝日の御用機関」との批判もある委員会の限界であろう。
◆意図を見抜いた読者
見解が言うように、なぜかを「3人のチームを過度に信頼し、任せきり」にしたとする分析は皮相的で、その奥にまで立ち入らなければ意味がない。朝日が掲載した投書がそれを鋭く突いている。「(慰安婦記事と吉田調書記事など)いずれも共通しているのは、初めに結論ありきの裏付けのない報道だったと思われることだ」(9月13日、埼玉県・主婦62)、「(あの記事は)目的ありきで書いたのではないかと疑わざるをえない」(同14日、滋賀県・高校生17)と。読者は、すでに意図を見抜いているのである。
(堀本和博)