地球化時代の到来が招く民族主義の運命
韓国紙セゲイルボ
20世紀最後の10年間は政治、経済、社会、文化など総体的転換局面期であった。新世紀で新千年が始まった2000年代は地球化の波が世界を覆いながら、これ以上民族主義は立つ場所がなくなると見なされた。
多様な超国家的な行為者の登場と民主主義の拡散、そして世界市場の統合、国際機構と国際法の活性化傾向に力づけられて、個別民族と国家に対する障壁が消え、世界市民意識が普遍化するという期待がひときわ高まったためだ。
世界市民意識は物的資源(商品)、人的資源(労働力)、資本(貨幣)等、種類を問わずすべてのものが国家の境界を自由に行き来することになる地球化時代で、人類が備えなければならない基本的な品性をいう。
ところで、地球化時代の到来が本当に民族主義時代を終結させるだろうか。今日の地球村は排他的で攻撃的民族主義を排撃している。地球村すべての人類が平和に生きていく一つの世界に向かって、前進していきつつあるのだ。
一つの世界に向かった人類共同体形成努力は国連と欧州連合(EU)をはじめとするさまざまな地域ブロック、そして世界貿易機関(WTO)等、多様な機関が先導している。
もちろん相変わらず民族と国家、そして宗教的同質性に基盤を置いた排外意識が民主主義や資本主義より強い結束力を見せ、地球化の統合の流れに抗している現実も存在する。これをどのように克服するのかが人類の課題である。
(禹俊模〈ウジュンモ〉鮮文大教授・国際政治学、9月22日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。