吉田「調書」「証言」誤報の社長会見でも第三者委員会に丸投げの朝日

◆チェック機能に疑問

 人や組織の行為を問題にするとき、問われるのは行為の方法よりも意図や動機だ。軍事脅威では「意図×能力」で判断され、殺人事件では「殺意」が量刑を左右する。能力や殺害方法といった手段よりも、そうあらしめた意図や動機が問題の本質だからだ。新聞記事の基本である「5W1H」(誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように)でも、「なぜ」は原因や理由に迫る「真実の追求」に欠かせない要素だ。

 だが、朝日の「吉田調書」と「吉田証言」の誤報をめぐる木村伊量(ただかず)社長の謝罪会見は、この肝心の意図や動機、なぜをまったく語らず、それどころか隠し通そうとすらした。その意味で謝罪は方便としか考えられない。

 原発事故をめぐる吉田昌郎(まさお)元所長の聴取記録(吉田調書)は、普通に読めば、朝日が報じた「所員の9割が所長命令に違反して撤退」(5月20日付)とはならない。報道陣から「ねじ曲げて報道したのではないか」との質問が出たのは当然だ。これに木村社長は「(取材班以外の記者やデスクなど)チェック機能が働かなかった」と答え、なぜという疑問に言及しなかった。

 そのチェック機能も社内にあるのか疑問だ。問題の紙面を見れば、初めに結論ありきのリード文、見出しの立て方で、社を挙げて“スクープ”に仕立てあげたことは明白だ。反原発の“社是”に逆らう「言論空間」があったとはとういて思えない。

 「フクシマ」論で知られる開沼博・福島大特任研究員は「(他メディアからの疑義が)なかったら、朝日は、調書の誤報自体を認めず、単に言いっ放しになっていたと思う。朝日などの一部報道が原発問題を報じる時、センセーショナリズムに走る傾向が強く、政府や東電を悪者にしてつるしあげるような報道が目立ってきた」と述べている(読売12日付)。

◆意図や動機こそ問題

 今回の問題はそうしたセンセーショナリズムの大きな代償と開沼氏は指摘する。センセーショナリズムで問われるのは単なる機能(能力)でなく意図・動機だ。それを覆い隠すかのような会見だ。

 慰安婦虚報では第三者委員会を立ち上げ徹底検証するとしたが、その一方で木村社長は「(8月5日付特集の)検証の内容に今でも全く自信をもっている」とした。だが、特集には虚偽の「吉田証言」のみならず、慰安婦証言をめぐる記者の疑惑や強制性、慰安婦と挺身(ていしん)隊の混同など多くの疑問が出ている。木村社長はそれに何一つ答えず、第三者委員会に丸投げした。これでは自浄作用がないことを天下にさらしたのも同然だ。

 平林博・元内閣外政審議室長は「第三者委員会には朝日の今後の言論の立ち位置も含めて抜本的に検証してもらいたい」と注文している(読売12日付)。立ち位置とは、言うまでもなく機能でなく、どういう姿勢で言論を張るのか、意図や動機のことだ。

 この点を抜きにした検証はあり得ないはずだが、NHK慰安婦番組をめぐる朝日改変虚報(05年1月12日付)では第三者委員会は意図や動機を棚上げにし、他メディアから「極左記者」とされた本田雅和記者を不問に付した。

 なぜ意図や動機を隠すのか。それこそが朝日の体質の根本問題だからだ。戦後、朝日はソ連の思惑に従い「全面講和」や「永世中立」を唱えたのを皮切りに、60年安保では反米・反安保を煽(あお)り、文化大革命を手放しで褒めちぎり、中国と「秘密協定」を結んで報道の自由を売り渡し、あるいは北朝鮮を「地上の楽園」と報じ、拉致を防ぐスパイ防止法制定に大反対した。

◆脱イデオロギーが鍵

 いずれも真実の報道よりもイデオロギーを優先させた結果だ。こうした報道姿勢(立ち位置)は、タレントの阿川佐和子さんの父、阿川弘之氏(作家)をして「赤旗に書かない人間が、アカイ、アカイ、赤旗よりアカイ朝日に、書くわけがないでしょ」(『諸君!』85年1月号)と言わしめるまでに至った。

 こうした立ち位置を改めない限り、つまり脱左翼イデオロギーがない限り、朝日再生はあり得ない。

(増 記代司)