「家族の多様化」の虚偽、「欲望」虚飾の美辞麗句
河合は日本人の家族観に大きな変化はないと主張する一方で、結婚しない、あるいはできない人が増えて、「皆婚社会」が崩壊している事実は認める。しかし、これは家族観の変化による現象ではなく、「雇用環境の変化など社会的要因がもたらしている部分が大きい」と分析する。つまり、多くの若者たちは結婚して子供を2人か3人を生むことを望んでいるが、それを許さない現実があるということなのだ。したがって、現在の非婚や少子化対策としては、雇用環境の改善策を抜きには語れないということになる。
また、これからの日本の社会の在り方として、「家族の多様化」を積極的に認めるべきだとするリベラルな識者が増えているが、彼らがその根拠とするのは日本における「伝統的な家族」の歴史はたかだか「100年」という短さである。
だが、河合は「日本で法律婚が定着したのは、社会に果たしてきた役割と効果が大きい」からだと指摘する。つまり、伝統的な家族がたかだか100年で根付いたのは、日本人と社会の本質に合致し、発展を導いてきたからだ、と考えるべきなのである。
歴史の試行錯誤の結論として行き着いたのが伝統的な家族だったのであって、それを捨てることは「個人の尊重」や「価値観の多様化」「少数派の権利」などの美辞麗句で飾られた“欲望中心主義”を煽ることになる。その結果としての家族破壊が社会に何をもたらすのか。これについては、我々の常識的な想像力を働かせれば、分かろうというものだが、その常識を最も軽視し、あるいは喪失しているのが知識層なのかもしれない。
編集委員 森田 清策