名スラッガーの大島康徳さん、70歳で死去


通算2204安打で本塁打王も獲得、意地と闘志とリスペクト

元プロ野球選手の大島康徳さん(時事)

丈70m、幅40m、重さ700kg 誰のズボン?

オリックス戦で通算2000安打を達成し、一塁上で歓声に応える日本ハムの大島康徳さん=1990年8月21日、兵庫・西宮球場(時事)

 通算2204安打を放ち、本塁打王も獲得した大島康徳さんが亡くなった。自らブログでがんとの闘病を公表。現役26年、実働24年の名スラッガーが、70歳で力尽きた。

 中日時代の1974年10月14日、後楽園球場。巨人の大スター、長嶋茂雄選手の引退試合で、対戦相手を代表して23歳の大島選手が花束を贈った。既に中日は巨人の10連覇を阻止し、20年ぶりにリーグ優勝を決めていた。その日はレギュラー陣が優勝パレードに参加し、巨人戦には若手主体で臨んだ。

 大島選手はこの年、112試合に出て11本塁打。主力組の一人と言えたが、長嶋選手の引退試合出場を志願したとされ、同じ4番三塁で最後の雄姿を見届けた。「ミスタープロ野球」に対するリスペクトの表れだった。

 当時はレギュラーに定着していなかったが、76年に今もプロ野球記録のシーズン代打本塁打7本。勝負強さが光った。77年は打率3割3分3厘、27本塁打、71打点で中心打者に。79年はともに自己最高の36本塁打、103打点。83年には36本塁打で念願のタイトルを手にした。

 「強打者大島」を象徴するシーンが巨人の剛腕だった江川卓さんとの対決だ。ある試合で、江川投手の前に打線が沈黙。それでも終盤、力のある速球を右中間席中段へ運び、表情一つ変えずにダイヤモンドを一周。「当然だ」と言わんばかりの意地と闘志をにじませていた。

 日本ハムに移籍後の90年、当時史上最年長の39歳10カ月で通算2000安打に到達。44歳まで現役を続け、382本塁打、1234打点の通算記録を残した。日本ハム監督1年目の2000年4月、片岡篤史選手がプロ100号を放つと、ロッカールームにチームメートやコーチを集めてビールで祝杯。敬意を表す姿勢も貫いた。