安保改定60 自由アジア守護へ増す重要性
日米安全保障条約の改定から、きょうで60年を迎えた。急激な軍事力の増強を背景に覇権主義的な動きを強める中国、核・ミサイル開発を進める北朝鮮など、わが国を取り巻く安全保障環境が、かつてない厳しいものとなる中、同条約はわが国とアジアの安全保障の要としてその重要性を増している。
岸首相が命懸けで断行
1951年締結された旧条約の片務性を改め、より対等な日米関係を築くために、当時の岸信介首相とアイゼンハワー大統領が改定新条約に署名した。改定の中心は第5条にあり、米国の対日防衛義務を明確化するとともに、日本への武力攻撃に共同対処することを定めた。
岸首相が命懸けで安保改定を断行したのは、わが国の安全保障をより確実なものとするとともに、より対等の同盟に近づけるためだった。連合国による占領が終わり独立を回復したとはいえ、旧条約のままでは、日本は独立国家としての実質を備えないと考えたのである。
このような内実を備えた安保改定であったが、社会党、共産党の扇動によって、反安保運動は、労働者、学生から一般の人々にも広まった。しかし「安保反対」を叫ぶ人々の多くは、安保改定の内容や意味については何も知らず付和雷同した人々だった。
反対運動の過熱を受けて、与党・自民党内でも反対論が出るに至ったが、岸首相は改定の意思を貫いた。万を超すデモ隊が国会を取り巻いた時も「(デモの)参加者は限られている。野球場や映画館は満員で、銀座通りもいつもと変わりがない。私は“声なき声”に耳を傾けなければならない」と動じなかった。
安保改定によって、日米同盟がより強固なものとなり、日本の安全が担保されたからこそ、日本はその後も平和を享受し、経済大国への道を歩むことができたのである。そのような歴史を正当に評価しなければならない。国際政治の現実を無視した空想的平和主義の扇動と付和雷同で高まった反安保闘争の欺瞞(ぎまん)と愚かしさへの反省がなければ、同じ轍(てつ)を踏みかねない。
安保改定60年に際し、日米両政府は「今後も日米同盟を強化し、両国が共有する価値と諸原則を堅持するとの揺るぎないコミットメントを改めて表明する」とする共同声明を発表。「日米同盟は地域における安全保障協力等を通じ、自由で開かれたインド太平洋という両国が共有するビジョンを実現している」と指摘している。
改定から60年の間に日米安保は深化してきたが、中国や北朝鮮の脅威が増大し、軍事力競争も宇宙やサイバー空間に広がっている。日米同盟は、新たな段階へと深化が求められている。
自主防衛能力の向上を
トランプ大統領が折に触れて日米同盟の「片務性」を指摘することに対しても、駆け引きのための言葉と軽く考えてはいけないだろう。
自分の国は自分で守るというのが基本である。日米同盟のさらなる深化に努める一方で自主防衛能力を向上させるのは当然の義務であり、そのためにも憲法改正など法整備を進めていく必要がある。