「公的な祈り」に合憲判断、米最高裁

守られた建国以来の宗教的伝統

 米連邦最高裁判所は今月5日、政教分離問題で重要な司法判断を下した。ニューヨーク州の町議会で行われていたキリスト教の祈りは、国教樹立を禁じた憲法修正第1条に反しないと結論付けた。万一、違憲判断が下されていたら、祈りで議会を開会するという建国以来の宗教的伝統は大きく歪(ゆが)められていた。最高裁判断は5対4の小差で、「公的な祈り」は紙一重で守られた形だ。
(ワシントン・早川俊行)

終わりなき世俗派との戦い

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米連邦最高裁のアンソニー・ケネディ判事(右)と
イレーナ・ケーガン判事(UPI)

 今回の裁判の舞台となったのは、ニューヨーク州北西部にあるグリース町。9万6000人が住むこの町の議会では、1999年から地元聖職者が月ごとに交代で開会の祈りを捧(ささ)げるのが慣習になっていた。

 ユダヤ教徒と無神論者の女性2人が2008年に訴訟を起こすまで、開会の祈りを担当していたのはすべてキリスト教の聖職者だった。これは町が他の宗教を意図的に排除していたのではなく、地元宗教組織のほとんどがキリスト教会だったからだ。米メディアによると、町内にはキリスト教会が30あるのに対し、仏教の寺院は一つ、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)は一つもない。

 だが、女性2人は、町が祈りをキリスト教聖職者に独占させてきたことは、住民に対するキリスト教信仰の押し付けであり、国教樹立を禁じた憲法修正第1条に違反するとして提訴。これ以後、町は魔女崇拝者を含め、他宗教の信者が祈りを捧げる機会を設けたものの、原告が訴訟を取り下げることはなかった。

 原告は一審で敗訴したが、二審ではニューヨーク連邦高裁が「町の行為は特定宗教の是認に当たる」と断定し、逆転勝訴していた。

 祈りで議会を開会する慣習は、米独立前の大陸会議(植民地代表者による議会)から続く伝統。憲法修正第1条を提案した1789年の第1回連邦議会もチャプレン(専属の聖職者)の祈りで始まっている。

 裁判はグリース町という小さな地方自治体を舞台にしたものだったが、全米の宗教的伝統を揺さぶる可能性があったため、大きな注目を集めた。特に、保守派は「最高裁が原告勝訴の判断を下せば、建国以来の数百年にわたる慣習を放棄しなければならなくなり、(大統領就任式での祈祷(きとう)など)宗教的遺産を反映した多く行為や行事が危うくなる」(保守系法曹団体「自由防衛同盟」)と危機感を募らせていた。

 最高裁は結局、二審判決を覆し、グリース町の慣習は合憲との判断を下した。多数派意見を執筆したアンソニー・ケネディ判事は、第1回連邦議会がまず最初にチャプレンを任命したことや、修正第1条制定後も開会の祈りが続けられてきた史実に触れながら、「議会の祈りは我々の遺産、伝統の一部だ」と強調。「グリース町が祈りで会合を始めることは我々の伝統と一致しており、修正第1条に反しない。信者ではない人々の参加を強制するものでもない」と断定した。

 原告側は、公的な会合では「イエス・キリスト」や「復活」などキリスト教用語は使わず、無宗派の祈りにすべきだと主張したが、ケネディ判事は、祈りの内容が中傷や布教目的でない限り、問題ないとの見解を示した。

 これに対し、少数派意見を書いたリベラル派のイレーナ・ケーガン判事は、公共の場を「無宗教の空間にする必要はない」としながらも、「(グリース町の)慣習は宗教的信念を共有する階級とそうでない階級を生み出し、市民を分断するものだ」と批判。祈りが一つの宗派に偏っていたことは、修正第1条に反するとした。

 この最高裁判決により、建国以来の宗教的伝統が歪められる事態は避けられたものの、9人の判事の判断は5対4の小差だった。中間派のケネディ氏が4人の保守派判事と歩調を合わせたことで、辛うじて合憲判断が下された。

 保守系紙ワシントン・タイムズは「米国の信教の自由は最高裁のたった1票に懸かっている」と指摘。「この結果は心強いものだが、僅差の勝利は宗教の自由を守ることが終わりなき仕事であることを思い起こさせる」と強調、公の場から宗教を排除しようとするリベラル勢力との戦いは続くと断じた。

 著名な保守派コラムニスト、ジョージ・ウィル氏も、ワシントン・ポスト紙のコラムで「法廷は再び好戦的で悪質な世俗主義者たちの主張を聞くことになるだろう」と、同様の訴訟が今後も起きると予測。「憤慨することが米国の国民的娯楽となってしまった。信仰を持たない人が増えるにつれ、信仰を持つ人を訴えて世俗的感覚に服従させようとする衝動も強まるだろう」と指摘し、米国民の間で広がる宗教への不寛容な風潮を嘆いた。