砕かれた「アラブの春」の理想 イスラム過激派が台頭
中東・アラブ諸国で、2010年暮れから始まった、長期独裁政権打倒と自由民主主義を求めた「アラブの春」運動は、昨年末で丸5年が経過した。最近「アラブの秋・冬になってしまった」との嘆きが聞かれる原因は、イスラム過激派勢力が、各国で勢力を拡大し、その理想を打ち砕いたからだ。イスラム過激派勢力は、イスラム教への信仰を土台に、イスラム法による厳格な統治下のイスラム国家・世界の樹立を目指すことから、民主主義とは正反対の体制を確立することになる。(カイロ・鈴木眞吉)
真の民主主義実現へ教派の対話が不可欠
イスラム過激派勢力によるアラブの春の破壊は、チュニジアでは、ムスリム同胞団系イスラム政党「アンナハダ」が、世俗政権と対峙(たいじ)、もしエジプトでの同胞団政権追放や圧迫が無かったならば、同政党が政権を握る勢いだった。世俗政権派の巻き返しでかろうじて同胞団政権樹立を防げたものの、つい最近「アンナハダ」が再び勢力を盛り返し、議会の多数派になったとされ、再び自由と民主主義が脅かされる懸念が出てきている。
エジプトでは、ムスリム同胞団そのものが政権を約1年間掌握して、民主勢力の伸長を阻止、革命の本意を曲げてしまった。幸いに国民が、イスラム化に傾斜し経済無策に陥るモルシ政権の実体に気付き、軍に要請して第2革命を断行したことから、イスラム独裁国家化ないしは内戦突入を避けることができたが、一歩間違えば、シリアやリビア、イエメン、イラクと同様、内戦で国民が引き裂かれる可能性があった。
リビアでは、ムスリム同胞団系イスラム勢力が、国際社会が承認した世俗政権を東部トブロクに追放、さらに過激派組織「イスラム国」(IS)が、中部シルトを拠点に勢力を拡大、結局、イスラム諸勢力にいいようにかき回されて、全くの失敗国家となった。
イエメンでは、国際社会が認めたハディ政権を前に、イランの支援を受けたシーア派勢力フーシ派が立ちはだかり、スンニ派の盟主を自任するサウジの侵攻を招いて内戦に突入、失敗国家に転落した。
シリアでは、民主化を求めた自由シリア軍などは、国際テロ組織アルカイダ系の「ヌスラ戦線」や、ISに押されて存在感を示せず、泥沼の内戦状態に陥った。
このようにアラブ諸国に民主主義国家創建を願ったアラブの春の理想は、各国でイスラム過激派勢力の台頭により阻まれたが、同勢力の問題点は何だったのか。
上記の勢力の共通点は、イスラム教の開祖預言者ムハンマドの時代を理想とし、教典コーランとハディースの言葉を神の言葉と信じ、双方から導き出されるイスラム法を、現実の生活の中に厳密に適用しようとすることにある。
英国国教会(アングリカンチャーチ)のエジプト及び北アフリカ、東アフリカの総司教ムニール・ハンナ・アニス師は昨年暮れの本紙とのインタビューで、「テロリストは、コーランやハディースの言葉を誤って解釈し、テロを正当化している」「コーランやハディースの言葉は、1000年以上も前に書かれたもので、そのまま21世紀の今日の状況に適用しようとすることは無謀なことだ」と指摘した。さらに、「イスラムは自己批判ができず、他から批判されることに慣れておらず、過剰反応してしまう」「批判されることに寛容になり、自己批判も発達する必要がある」とも指摘した。
同師は、英国国教会が受けた迫害の歴史を振り返りながら、「聖典の言葉を文字通りあてはめることは、全ての宗教において危険なのだ」と結んだ。
ムニール師はイスラム指導者への助言として、①イスラム教徒間で対話を持つべき②イスラム教スンニ派の権威アズハルは、間違ったイデオロギーに対し、回答を出すべき、とした。
アズハルは、西側でのイスラム教の印象悪化を避けるため、「イスラム教は平和の宗教だ」などと弁解に終始しているが、イスラムを守る最大の方法は、彼らと対話し、根底から彼らのイデオロギーを正し、説得することだと強調した。
本来のイスラム教は、神以外を絶対とせず、人間は罪に弱い存在だと認め、平等や公正を良しとする宗教で、本来は民主主義を実現し得る条件を備えている。
イスラム教に春が来て初めてアラブに春が来るのだろう。その順序を間違えたことが、アラブの春が実らなかった最大の原因とみられる。イスラム教内宗教改革が急がれている。