イスラム化が進むトルコ、独裁色強めるエルドアン大統領
内戦状態のシリアやイラク、シーア派国家イランと国境を接し、昨年急台頭したイスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国」とも対峙(たいじ)するトルコは、イスラエルやレバノン、ヨルダン、エジプトとも地中海を挟んで隣接する地理的位置にあり、中東世界に多大な影響を及ぼす可能性を持っている。(カイロ・鈴木眞吉)
ムスリム同胞団に接近も
エルドアン氏がイスタンブール市長を経て首相に就任したのは2003年3月。約11年間を首相として、14年8月からは大統領として国家を率い、4カ月余りが経過した。
同氏の功罪について、国内外の有識者が一様に指摘する主要点は、①首相時代に成し遂げた経済成長②国家のイスラム化③権力の乱用と独裁化の3点だ。
エルドアン氏が初代党首である公正発展党(01年結党)は、その前身に美徳党(1997年結党)、福祉党(83年同)、国民救済党(72年同)、国民秩序党(70年同)があり、いずれも、近代トルコの父ケマル・アタチュルクが国是とした「政教分離による世俗主義」に反するとして、解散させられた「イスラム主義政党」だ。
アナリストらは、同氏が市長や首相に就任し得たのは、イスラム主義をちらつかせてはイスラム主義者票を集め、自由民主主義者のように見せかけては世俗票も獲得したからとみている。
首相在任中、国民一人当たりの所得を約3倍に急増させ得たのは、官僚やエリート層が財閥と共に国を率いていた当時の経済を、民間活力を利用した自由主義経済に転換したことが奏功したとされる。
一方、01年に公正発展党が結党され、02年に単独政権になるころから、党は公共の場での飲酒やレストランでのアルコール飲料販売禁止を訴え、ギュル大統領夫人が公の場でスカーフをかぶるなどイスラム化が始まった。テレビドラマの検閲を強化、マスコミ規制に乗り出し、ジャーナリスト保護委員会によると、トルコは、イランや中国よりも多くのジャーナリストを投獄している。
13年9月には数十年にわたって適用されてきた女性イスラム教徒公務員スカーフ着用禁止法令を撤廃。男性公務員は、あごひげを生やすことが許可された。双方共アタチュルク初代大統領によって禁じられていた。
14年11月には「米大陸はイスラム教徒が発見した」「男性と女性は平等ではない」などと、イスラム的価値観に基づく持論を展開、12月には「避妊は国家への反逆」と発言するなど物議を醸した。
最近、殊に目立ち始めたのは権力乱用と独裁化傾向だ。
昨年1月、同氏の息子や閣僚らを含めた汚職疑惑に対抗、国家警察副長官ら350人の警察官を解任した。批判が国民に拡大することを警戒、2月にはネット規制法案に署名、欧州諸国からの懸念を惹起(じゃっき)した。3月には、政権糾弾運動の背後に、「かつての盟友」ギュレン師がいるとして、同師系の私立学校4千校を閉鎖する挙に出た。デモの盛り上がりを前に、3月下旬には、ツイッターを遮断、ユーチューブも遮断した。4月には、憲法裁にまで圧力をかけ、同月末には、米国にギュレン師の追放を迫り、12月には逮捕状を出した。
大統領選を間近に控えた7月下旬、自身への盗聴容疑があったとして警察幹部100人超を逮捕した。
同氏は、8月の大統領選当選後も弾圧の手を緩めず12月中旬、反大統領派の編集長ら報道関係者27人を逮捕した。12月末には、今年1月の閣議主宰を宣言し、国内外に独裁化懸念を惹起させた。年明けの1月6日、ダウトオール首相は昨年の汚職疑惑を否定、大統領への追従姿勢を鮮明にした。
カタールを除く湾岸諸国やエジプトは、「トルコがムスリム同胞団を徹底利用し、イスラム国を含む過激派をも利用して、カリフ制によるオスマン帝国再興を狙っている」とみて警戒している。アラブ主要国はカタールを同胞団支持から転換させたが、トルコは、カタールから追放された同胞団支持のイスラム指導者らを受け入れた。同胞団を母体とするパレスチナのイスラム過激派組織ハマスの最高指導者マシャール氏を12月、与党の年次総会に招待、ダウトオール首相は彼と共に諸手を挙げて、聴衆の拍手を浴びたのも、その布石とみられる。
国際社会はエルドアン氏の独裁姿勢を冷静に見ている。トルコは昨年10月実施の国連非常任理事国選挙で予想外の敗北を喫した。