イラクで残虐行為続ける「イスラム国」
指導力発揮できぬ穏健派イスラム
イラクとシリアにまたがる地域にカリフ制イスラム国家の樹立を宣言したイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国(IS)」の蛮行が続いている。イラク北部で支配地域を拡大、キリスト教徒やヤジディ教徒など少数派の虐殺を行い、シリアでは邦人の1人も拘束された。この異常で危険な信仰と思想に対し、本来は、穏健派イスラム指導者が先頭切って立ち向かい、正すべきであるが、その動きはあまりに鈍い。米国をはじめ国際社会も及び腰だ。
(カイロ・鈴木眞吉)
カトリック教会が対応呼び掛け
イスラム教は、懐の深い寛容な宗教だとの見方もある一方、イスラム過激派の行動に見られるように、独善、排他、時代錯誤的側面を持つ非寛容な宗教との見方もある。
あるイスラム学者によると、イスラム教が寛容とされる理由の一つは、聖典「コーラン」や、預言者ムハンマドの言行録「ハディース」の記述の中に、矛盾する文章や考え方、判断があり、人間はそもそも神の意図する深い意味を解し得ない限界ある存在であり、聖典の相違をそのまま受け入れる姿勢を持つのが本来だという考えがもたらしているという。各地のイスラム指導者が、信者の問いや要請に応えて出すファトワ(宗教令)も、指導者によって反対の結論を出すことが多々あることに対し、指導者も信者も、人間の次元で「絶対」と言えることはなく、多様な意見が存在することは当然として理解し納得することになる。人間の不完全さへの自覚が「寛容」につながるというわけだ。
それに比べて、イスラム国や国際テロ組織アルカイダ系各組織、アフガニスタンのタリバン、ナイジェリアのボコ・ハラムなど、イスラム過激組織に見られる信仰姿勢は、「剣かコーランか」と評された時代のイスラム教が、そのまま現代に出現したような感覚に見舞われるほどの独善、排他、時代錯誤的姿勢に貫かれている。
これは、コーランやハディースの文字そのものを、「神の言葉」として絶対化し、文字に固執して、本来の広範な意味を狭義の意味に限定するなどしたことにあるようだ。すなわち、文字を絶対化することによって、絶対化してはならない人間の思考を絶対化し、思考する人間をも絶対化して(例えば「カリフ」に祭り上げて絶対化)神格化、人間が不完全であることを忘れて、自ら神になるという「過ち」を犯す方向に向かうのだ。
彼らの共通目標は、少々の強弱や範囲の大小はあれ、「イスラム法によるイスラム国家」創建と、それを世界化して、「世界イスラム化」を目指すことにある。あたかもかつての共産主義が「世界赤化」を目指したように、「イスラム教だけが唯一の正しい宗教で、全世界がイスラム教徒になることで理想世界をつくれる」と主張しているかのようだ。
「イスラムだけが解決」の標語を掲げた、ムスリム同胞団や同胞団を母体にパレスチナで結成された「ハマス」も同類だ。
イスラム国の蛮行は、アルカイダをしのぐとも評されるほどの残酷さを有している。
まずは、厳格なイスラム法(独自の)での統治を実践、女性には外出時、ニカブ着用を厳守させ、化粧やジーンズの着用禁止、男性のひげそりを禁ずるため理髪店も強制閉鎖した。
キリスト教徒やヤジディ教徒、イスラム教シーア派など、スンニ派以外を異教徒として敵視して迫害、スンニ派信徒であっても、統治に従わない者は拷問して改宗を迫り、拒否すれば処刑する。近隣の町村を無差別に襲撃、男性を殺害、誘拐した女性には性行為を迫り、性奴隷として扱う。女性への差別は、一夫多妻を容認するイスラム教自体の問題が根底にあり、イスラム教は真摯(しんし)に多妻容認問題に向き合うべきだろう。
資金は、麻薬や文化財の密売や武器の転売、銀行強盗、身代金目的の誘拐など、非合法的手段でかき集め、主要油田やダムにまで触手を伸ばした。
これらの蛮行に対し、本来は良識あるイスラム指導者が誰よりも先に説得し正すべきだが、「彼らはイスラム教徒ではない」とトカゲのしっぽ切りに徹し、責任を負おうとしなかった。しかし、業を煮やしたカトリック教会がエジプトのイスラム教スンニ派総本山「アズハル」に呼び掛けたことから、やっと、エジプトのグランドムフティ(最高指導者)シャウキ・アラーム師が、アズハルの見解として「イスラム国はイスラムの印象を著しく悪化させた」と糾弾するに至った。






