感動ない「光復70年」 無気力な国情を識者指摘
「70」という数字には特別な意味があるのだろうか。半世紀の「50」でもなく、一世紀の「100」でもない中途半端な数字だ。ところが、戦後70年は特別な年とされてしまった。
わが国では安倍晋三首相による「戦後70年談話」が出され、中国では「抗日戦勝利70周年記念式典」の軍事パレードが大々的に行われた。いずれも政治的理由が先行した行事だった。
韓国は「光復70年」を迎えた。光復とは日本の植民地から解放されたことを言うが、独立はその3年後の1948年。終戦という括(くく)りでいえば、交戦国どころか当時日本だった朝鮮が「戦勝」を祝うことはできないから、「70年」に特別な意味を付与するのは強引だ。
「月刊朝鮮」(9月号)に同誌の裴振栄(ペジンヨン)記者が、今年独立50周年を迎えたシンガポールと比較して、韓国の光復節が「大きな感動もなく過ぎ去った」と書いている。
シンガポールは1965年8月9日、マレーシア連邦から分離独立した。「すぐに滅びるだろう」と見られていた小国は、英明な指導者リー・クアンユー首相の下で、「世界的富国」に成長し、今年盛大に「50年」を祝った。
それに引き換え、韓国は「安倍首相が何の話をするのかに神経を尖らせて過ごした」だけだった。それだけではなく、裴記者は、「光復節が憂鬱だった理由の一つは国全体が無気力症に陥っているためだろう」として、「大統領の祝辞も特別なビジョンを見せられず、与野党の大統領選走者という人々も同様だった」と述べている。
「毎週の世論調査の数字に一喜一憂する者にビジョンを期待すること自体が無理かもしれない」と突き放しているところに、現在の韓国政治の行き詰まりが感じられる。
同じく裴記者による「『不都合な真実』を考えさせる映画『暗殺』」のコラムでは、植民地時代での「親日」問題、光復後の親日派清算問題に焦点が当てられている。
映画「暗殺」は上海と京城(現ソウル)を舞台に、親日派暗殺作戦を描いたものだ。この中で独立闘士だったが変節して日本の密偵になり、戦後、韓国の警察官になった人物に、独立闘士の主人公が「どうして同志を裏切ったのか」と問うと、「知らなかった。解放になるとは思わなかったから」と答えるシーンがある。
裴記者は、「この言葉は愛国の志士らの悲壮な言葉よりさらに重たく響く。大部分の朝鮮人は程度の差はあれ、『解放されるとは思っていなくて』日帝と妥協して、その秩序に順応しながら生きたという『不都合な真実』を見せる一言だ」と述べている。
大多数は支配に甘んじて暮らしてきた。その中には行政や警察など支配秩序の中で故郷と地域のために暮らした者も多くいた。そういう彼らを一括りにして「親日」の刻印を捺(お)すことが正しいことなのか、という疑問が韓国社会の中にある。
「その時代を『対日抗争期』とだけ記憶しようとするのは、また別の意味で歴史歪曲(わいきょく)になる」という裴記者の指摘は正しいだろう。そろそろ「不都合な真実」に目を向け、受け入れたらどうだろうか、という控えめな訴えをするのに「70年」という時間を要したわけだ。
韓国では「日帝残滓の清算」はサイクルをもって浮上する。最近では、日本由来の漢字語を固有語に改めて行こうという主張がまた出てきている。社会科学、自然科学などの用語のほとんどが日本が欧米語から翻訳したものである。韓国語彙の70~80%を占めるというから、全部を固有語に置き換えるのは不可能だし現実的ではない。
つい先ごろ、北朝鮮では日本の標準時に合わせていた時間を30分遅らせた。日本と時差を置いていない韓国は北朝鮮の“民族的”行動に多少の焦燥感を禁じ得ない。こうした北の“挑発”があると、「不都合な真実」受け入れが憚(はばか)れるのだ。
南北統一が実現しなければ、真の光復はない、ということを連想させる両記事である。
編集委員 岩崎 哲










