朴槿恵大統領の7時間、解明を試みた「新東亜」
産経支局長裁判の争点に
韓国で4月、旅客船セウォル号沈没事故発生当時、朴槿恵(パククネ)大統領はどこで何をしていたのか、について、韓国紙などを引用してコラムを書いた産経新聞ソウル支局長(当時)が韓国検察から起訴され、日韓間で「報道の自由」や「人権問題」になっている。
裁判の焦点は「名誉棄損」か「言論の自由」かになるだろうが、そもそも、大統領府が当時、速やかに事故当日の動静が不明だった朴大統領の「7時間」について明らかにしていれば、この問題は起きなかったはずだ。
なぜ明らかにならなかったのか。その後、国会や報道でも議論となっているが、東亜日報が出す総合月刊誌「新東亜」(10月号)が「大統領府関係者が伝えるセウォル号マル秘ストーリー」を載せて、解明を試みている。
同誌によると、多数の高校生を含む300人近い乗客が犠牲となった大事故への対応で、司令塔とも言うべき大統領府内が細かい方針一つ一つで分裂していたようだ。
事故発生後、大統領府に近い世宗路政府庁舎に対策本部が設置された。大統領府内では、朴大統領がここを訪れて救助を督励すべきだとする李貞鉉(イジョンヒョン)広報首席(当時)と、訪問するべきではないとする金淇春(キムキチュン)秘書室長の意見が対立していた、と大統領府関係者は同誌に明らかにしている。
福島第一原発事故当時、対策本部に乗り込んで怒鳴り散らして、見当違いの指示を出しただけで、却って邪魔になった菅直人首相(当時)の例もあるから、一概には大統領が対策本部に行けばいいとは言えない。金秘書室長は「生存者捜索に支障を招くようになる」と判断して反対したようだ。
だが、「行かなければ『大惨事に大統領はいったいどこで何をしていたのか』と批判を招く」と判断して、朴大統領は対策本部を訪ねることになった。
ここで問題となったのはそれまでの「7時間」だ。大統領は確実に府内にいたのだろうかということだ。金秘書室長は同誌のインタビューに、「大統領府内におり、外部の人物との面会はなかった」と答えている(9月号)。
しかし、「執務室にいたのか、官邸か、安家(安全な場所、防空壕のような場所)か、どこにいたのかに対しては確認していない」とも語っている。安全保障上の問題があるにしても、秘書室長が大統領の居場所を確認していないとは通常、考えられない。韓国大統領よりもはるかに身の危険度が高い米国大統領の動静の方がよほど公開されている。
しかも、朴大統領はこういう時に限らず、報告などはメールや電話、文書で受けることが多く、また常に執務室にいるわけではないという。むしろ「重要な決定を下すために一人で深く考える時間が必要」で、それが官邸や他の場所だったりするというのだ。
同誌は朴大統領が普段から「連絡ができない」人物だったと伝えている。与党関係者は朴大統領が一議員だった時分から、「『誰も分からない鉄甕城の中にいらっしゃった方』として知られていた。日課がどのように区分されるのか分からず、外部の人は全く分からない」と語っているほどなのだ。
朴大統領は「不通の人」「疎通が足りない人」と呼ばれている。人と会わず、会ってもコミュニケーションが足りず、意思疎通が難しいタイプの人物という意味だ。しかし、そのことと「公人」としての大統領の動静を秘書室が把握しておくこととは別の話で、「7時間」電話やメールの中だけに存在した大統領、では困るのである。
同誌は産経支局長の起訴についても触れているが、「日本マスコミ界は韓国政府が言論の自由を侵害していると論評している。検察が記者に出国禁止措置を出したのは行き過ぎだという指摘もなくはない」と伝えるだけで、同誌の考えは出していない。
裁判になれば、「7時間」について法廷でも取り上げざるを得ない。ここではっきりと「大統領府内にいた」ことが客観的証拠で証明される必要がある。韓国メディアも高い関心を寄せている。
もともと公人に対する報道では通常、名誉棄損は成り立たないから、普通に考えれば焦点は「7時間」になるはずだが、権力の顔色を窺(うかが)う検察、司法がどう処理するか注目せざるを得ない。
編集委員 岩崎 哲





