クーデターから1年 タイ軍政、国民投票で大幅延命も
タイ軍事政権のプラユット首相(前タイ陸軍司令官)は19日、憲法起草委員会の最終憲法案を国民投票にかける意向を明らかにした。これで当初、今年9月にも新憲法を制定するとの暫定政府のもくろみは破綻し、総選挙は早くて来年8月以降となる見込みだ。さらに、国民投票で新憲法が否決されると、さらに総選挙は延長を余儀なくさせられる。22日でクーデターから1年が過ぎた。タイの治安は回復したけれど、国家を二分するタクシン派と反タクシン派の間に横たわる溝は、深まりこそすれ埋まる見込みはない。(池永達夫)
タクシン派つぶしを推進
中国に取り込まれる懸念も
憲法起草委の憲法案は、守旧派支配体制の強化を狙ったものだ。具体的には非議員の首相就任が可能なことや、下院選挙で大政党の力をそぎ落とす選挙制度の導入、事実上選挙を経ないで選ばれる上院議員や独立機関に強力な権限を与え、政党の政治力を抑え込む内容だ。
憲法案への批判は、タクシン元首相派のタイ貢献党のみならず、反タクシン派で軍政に協力的な民主党さえも「民主主義の後退」との声が噴出した。
プラユット首相は当初、この憲法案の国民投票に否定的だったが、二大政党の反対と国民投票を求める世論も強いことから、受け入れた格好だ。
だがプラユット首相は内心、まんざらでもないと思っているのかもしれない。というのも、国民投票の実施で今年9月に予定していた憲法制定は半年以上の延長を余儀なくされるからだ。総選挙は新憲法制定後でないと実施できないので、クーデター以後、軍事政権は最低でも2年間、継続されることになる。ましてや国民投票で新憲法案が否決されると、憲法草案の練り直しが行われることになり、軍事政権は2年どころか3年にまで延長されることもあり得る。
プラユット首相は、その中でやるべきことを実行に移す意向だ。プラユット首相の腹にある最大の政治課題は、タクシン派の政治基盤弱体化だ。
タイでは2006年以降、東北部と北部の住民、バンコクの中低所得者層の支持を集めるタクシン元首相派と、特権階級、南部住民とバンコクの中間層を中心とする反タクシン派の抗争が続き、政治的にも社会的にも混乱が続いた経緯がある。軍部は昨年5月20日、治安回復を理由に戒厳令を発令。さらに5月22日にクーデターでタクシン派政権を倒し、全権を掌握した。軍は当初、両派の和解を目指すとしていたが、タクシン派の官僚、軍・警察幹部のほとんどを左遷し、地方のタクシン派団体を解散に追い込むなど、タクシン派つぶしを推進した。今年1月には、軍政が設立した非民選の暫定国会「立法議会」が、「コメ担保融資制度をめぐる職務怠慢」でインラック前首相を弾劾にかけ、前首相の参政権を5年間停止させてもいる。
プラユット首相は先月1日、昨年5月20日以来の戒厳令を解除した。だが、軍出身の首相は、自身に事実上無制限の権限を与える暫定憲法44条を発動。これに伴い、軍に戒厳令下同様の法執行権限を付与した。
「戒厳令」の名称こそ消えたものの、新条例の発動で、これまで通り、政治活動の禁止や集会禁止、言論報道統制、逮捕状なしでの身柄拘束、不敬罪や安全保障に関し軍法会議による裁判などが継続する。いわば戒厳令なき戒厳令が敷かれた格好だ。
軍部は過去、20回近くクーデターで政治のテーブルをひっくり返し、実権を握ってきた経緯があるが、今回は脇を固め、簡単に政権を手放す意思は皆無だ。2006年のクーデターでは、早い段階から選挙管理内閣へと手綱を緩め、次の総選挙でタクシン派政権の復活を許すという“失態”を演じたが、二度と失敗の轍(てつ)を踏むようなことはしない覚悟がプラユット首相の背中ににじみ出ている。
なお、軍事政権の長期化で懸念されるのは、中国によるタイ政権取り込みだ。
欧米がタイのクーデター政権に対し制裁を科す中、積極的に暫定政権の後ろ盾役を買って外交攻勢を掛けてきたのが中国だった。昨年には李克強首相は、タイを訪問し、プラユット首相とタイ高速鉄道の共同開発をうたった了解覚書に調印した。プラユット首相も時を置かず中国を返礼訪問し、習近平国家主席、李克強首相らと会談している。
中国はタイ同様、ラオスやカンボジア、マレーシアなどへの札束外交を展開、関係強化に熱心だ。中国の狙いは東南アジアの「小中華圏」構築にある。
中国は現在、インド洋を経由した海のシルクロードと中央アジアを経由した陸のシルクロードでユーラシア大陸そのものを「大中華圏」へと落とし込む一帯一路構想を推進しようとしている。その一翼を担う東南アジアへの変容を迫っているのだ。






