マニラ首都圏でサンダル工場が爆発炎上
溶接作業の火花が化学薬品に引火か
マニラ首都圏で履物を製造していた工場で13日、施設を全焼する火災があり、これまでに72人の死者が確認された。ここまで犠牲者が膨らんだ背景には、防災設備の不備や構造的な欠陥など、工場の労働環境に問題があるとの指摘もあり、工場の経営者や操業を許可した政府当局に対し批判の声が高まっている。(マニラ・福島純一)
窓に鉄格子、従業員逃げ切れず焼死
経営者の管理責任問う声も
火災があったのは、首都圏北部バレンズエラ市内で、国内向けスリッパやサンダルを製造していた工場。近所の住人などによると、地面を揺るがす大きな爆発が何度かあり、その後、黒煙と共に工場から大きな火の手が上がったという。
出火の原因は、工場の出入り口を修理するために使っていた溶接の火花が、工場内に保管されていた化学薬品に引火して爆発したとみられている。さらに工場内にあったゴムなどの可燃性の素材に燃え移って猛烈な火の手となり、消防隊の消火活動は難航。鎮火まで約7時間もかかり、2棟の2階建ての工場が全焼し屋根が崩落した。
生き残った従業員によると、1階の出入り口の付近から出火し、瞬く間に燃え広がったことから、工場内で作業していた従業員のほとんどは外へ脱出できなかったという。多くの従業員が火の手を避けて2階に上がったが、窓には防犯のために鉄格子が設置されており、行き場を失った従業員たちは火と煙に巻かれ、そのまま焼死したとみられている。当時、現場に駆け付けた住人たちは、多くの従業員たちが鉄格子から手を伸ばして救助を求めていたと証言している。当局の調べによると、非常口は1階にしか備わっておらず、さらに当時ドアに鍵が掛かっていたとの情報もある。
犠牲者の遺体の多くは激しい火災で白骨化しており、警察による身元の確認は難航している。DNAテストによる確認が行われる見通しだが、専門家からは、結果が出るまでに数カ月かかる可能性も指摘されている。
左派系労働者組織「KMU」は、アキノ政権下で起きた最初の工場火災ではないと指摘し、安全基準の徹底が不十分だと政府を強く非難。工場の構造的な欠陥を「死の罠(わな)」と表現し、防災設備の不備が多くの犠牲を招いたと分析した。
しかし工場の法律顧問は、消防庁の監査を受けており安全基準を満たしていることを強調。2階の鉄格子に関しても撤去を指示されておらず、工場の構造や設備に問題はなかったと説明した。また労働雇用省も、工場が8カ月前に監査を受けて、労働安全基準を満たしていたことを明らかにしている。しかし、生き残った従業員からは、何年も避難訓練を実施していなかったとの証言もあり、経営者の管理責任が問われる可能性もある。バレンズエラ市のガチャリアン市長は、火災を起こした工場の操業許可を再調査する方針を示した。
フィリピンにおける最悪の火災事故は、1996年にマニラ首都圏ケソン市のディスコ「オゾン」で起きたもので、162人が死亡し50人が大火傷(やけど)を負って病院に運ばれた。当時、学校の卒業を祝う高校生や大学生で賑(にぎ)わっており、店内には35人の収容人数を大幅に超える、約400人の客がいたと言われている。
首都圏では住宅密集地などで頻繁に火災が発生するなど、依然として防災対策の立ち遅れが大きな問題となっている。大統領府のコロマ報道官は今回の火災を受け、「同じような災害を防止するため工場の検査を強化する」と政府の方針を国民に伝え、被害者や遺族への支援を約束した。
労働雇用省は、犠牲者の遺族が葬儀給付金として2万ペソ(約5万4000円)が受け取れるほか、入院が必要な負傷者には1日200ペソ(約540円)の給付金を120日まで受けられると説明している。