憲法草案に批判噴出 岐路に立つタイ政治

 タイの憲法起草委員会が新憲法制定のたたき台としてまとめた憲法草案が議論を呼んでいる。先月26日まで憲法草案を俎上(そじょう)に載せた1週間の集中審議を行った国家改革評議会(NRC)では、新しい選挙制度や首相の選任方法などをめぐって「民意が反映されにくく民主主義の後退だ」といった厳しい批判にさらされた。憲法起草委はNRCや内閣などの意見をベースに、7月23日までに最終草案を作成した上でNRCに再提出。NRCは8月6日までに最終案の採決を行う。昨年5月22日、クーデターで権力を握った軍事政権は9月をめどに新憲法を公布したい意向だが、新憲法制定手続きがすんなり進むかどうかは予断を許さない状況にある。(池永達夫)

軍とタクシン派が綱引き

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昨年5月21日、バンコクで、政府と反政府派の代表らとの協議に向かうプラユット陸軍司令官
(中央)(AFP=時事)

 憲法起草委が提出した憲法草案に盛り込まれた条項で注目されるのは、非議員の首相就任が可能となること、下院選挙で大政党の力をそぎ落とす選挙制度の導入などだ。

 憲法草案が定めた下院選挙制度では、ドイツ型の「小選挙区比例代表併用制」を導入することになっている。比例代表の得票数によって各政党の総議席数を割り振る方法だ。これまで375あった下院の小選挙区を250に減らし、125あった比例区による選出議員を倍増させる。

 この小選挙区比例代表併用制は、第1党が単独過半数を押さえることが難しい選挙制度で、他党と連立を組んだ連立政権を余儀なくされる傾向が強い。地方農民などの圧倒的支持を得て選挙に強いタクシン元首相派の影響力を、選挙制度を変更することでそぎ落とすのが狙いだ。

 ただ民意を反映した選挙を終えても、連立を模索したり交渉したりする過程で利権の付与や人事など政治談合が行われるようになることから、民意を反映しない密室政治への反発もこの憲法草案には付きまとう。

 さらに上院改革では、上院議員定数を150から200に増やし、民選議員は地域代表の77で据え置いたまま、残りは元官僚や元軍人、学者など専門家で構成するとしている。要は公選議員の政治力をそぎ落とし、守旧派の軍人や官僚などの発言力を強めるものだ。ここでも上院改革の基本軸には、選挙に強いタクシン元首相派の力を封印しようとの思惑がある。

 そして下院議員の3分の2以上の支持があれば、下院議員でなくても首相になれるようにするという。この点も選挙制度の変更同様、批判が多い。というのも、クーデター後、クーデターを主導したプラユット陸軍司令官が暫定首相に就任しているタイでは、非常時でこそ軍首脳の政治実権掌握を認める風土があるものの、軍人がそのまま政治に居座ることは許さない強い民意も存在するからだ。

 かつて1991年のクーデターでチャチャイ首相を失脚に追い込んだスチンダ陸軍司令官は「自分は首相には就任しない」と約束したにもかかわらず、翌年の総選挙の結果、下院はスチンダ氏を首相に指名した。だがジャムロン・バンコク元市長などの民主化リーダーたちに率いられた大規模反政府デモに遭遇。プミポン国王の「このままでは国家自体が滅ぶ。瓦礫(がれき)の上で勝利の旗を振って何の意味があるのか。軍は兵舎に帰れ。デモ隊は家に帰れ」と喧嘩(けんか)両成敗の断でスチンダ首相は失脚を余儀なくされた経緯がある。

 タイの政治的安定度の高さは定評があるが、そもそも王室と軍、政治家がそれぞれ権力を持ちながら、同時に相互に牽制(けんせい)し合う政治的三角形を形成してきた。それが2001年のタクシン政権の登場で政治が強くなった。その反動で守旧派を代表する軍が2度ものクーデターでタクシン政権の卓袱(ちゃぶ)台をひっくり返し、軍の台頭が顕著となったのが現在だ。

 そうしたタイの歴史と政治風土を考慮すると、いつまでも軍が圧倒的な政治力を行使できるわけでもない「限られた時間」での実権だ。とどのつまり、守旧派を代表する軍とタクシン派の綱引きがどういう決着を見るかだが、この軋轢(あつれき)を大きな立場から見守る国王が不在だ。

 昨年10月、胆嚢(たんのう)炎で胆嚢摘出手術を受けたプミポン国王は大腸憩室炎を患い、入院生活を余儀なくされている。政治的安定を担保する国王の介入は期待できない状況なのだ。こうした閉塞(へいそく)状況の中で、これからのタイ政治を規定する新憲法がどういう内容になるのか目が離せない。