避難で来日のウクライナ女性、祖国思うと喜べず


故郷マリウポリで不明・死亡の親族を憂慮、日本には感謝

避難で来日のウクライナ女性、祖国思うと喜べず

故郷で母オリハさん(右手前)を囲むオレナ・クシナリョワさん(右奥)ら。左は妹ビクトリヤさんとめい2人=2021年5月24日、ウクライナ・マリウポリ(本人提供・時事)

 ロシア軍が侵攻したウクライナの首都キエフを逃れ、息子一家が暮らす日本に20日に到着したオレナ・クシナリョワさん(50)がオンライン取材に応じた。15日間で陸路約1000キロと空路約1万キロの移動。安全な場所に避難できても祖国を思うと「喜べない」と話し、キエフに残した夫ユーリーさん(50)と、故郷で激戦地の南東部マリウポリにいる親族の安否を気遣っている。一問一答は次の通り。

 ――どう避難したか。

 車でキエフを出たのは今月5日夜。日付を覚えているのは、この日、マリウポリで妹の夫の父が砲撃で死んだから。最初、自分の夫と一緒に西部リビウ近郊に滞在。安全で国外に出なくてもいいことを切に願ったけれど、近くの軍演習場に空爆があり、私の脱出が決まった。めい2人を連れた妹が14日、車でポーランド南部クラクフへ送ってくれた。列車に乗り換え、夜にワルシャワに到着。翌15日、在ポーランド日本大使館でビザの手続きが始まり、19日に空路出発した。

 ――今の心境を。

 イスタンブール経由で羽田空港に20日夜に到着し、東京都足立区で暮らす息子一家と会えた。でも、今の心境はすごく複雑。最愛の孫娘2人との再会を手放しで喜べない自分がいる。祖国の状況は本当にひどい。この悲しみの中で生きるため感情を押し殺していて、今は喜びさえも心の底から感じられない。

 ――最大の懸念は。

 一番心配しているのは、マリウポリに残る私の76歳の母と、夫の両親のこと。母の無事は近所の人が時々知らせてくれるが、夫の両親の安否は今月2日から分からない。もう3週間以上も人々は半壊した家で電気、水、暖房、ガスもない状態。こんなことが21世紀に欧州の中央で起こるなんて、想像に苦しむ。母校も爆撃を受けた。

 ――夫はキエフに戻った。

 気が気でない。空襲警報は毎日6~10回。昼も夜も平穏などない。現在、18~60歳の男性が国外に出ることは禁じられている。さらに夫は予備の志願兵に登録していて、力を貸さねばならないかもしれない。常に連絡を取り合い、夫の無事を祈っている。

 ――日本に思うことは。

 日本政府には感謝している。訪日し、安全な場所に居られるのだから。ビザの手続き簡素化もありがたく、大使館は迅速に発給してくれた。ただ、祖国で戦争がすぐ終わらないのではと考えるのが怖い。日本人が募金していることも知っている。夫の知人が私の渡航を知って支援してくれたことにも、私たちは心から感謝している。(時事)