「次に備えよ」伝えたい、岩手で災害FMを開局


震災の際に放送局を立ち上げ、ラジオの重要性を実感

「次に備えよ」伝えたい、岩手で災害FMを開局

東日本大震災後に開局した「みやこ災害エフエム」勤務当時の佐藤省次さん(本人提供)

 「『次に備えよ』が私の伝えたいこと」。東日本大震災の際、岩手県宮古市で臨時災害放送局を立ち上げ、被災者向けに情報を発信し続けた佐藤省次さん(72)はこう話す。「地震や津波に直面したとき、どういう行動を取るかを常に考えてほしい」

 2011年3月11日は、住んでいた同県山田町から隣の宮古市へ妻と出掛けていた。海のすぐそばにあった自宅は流され、父や母、叔母ら親族11人を一度に失った。うち1人は今も行方不明だ。

 宮古市でコミュニティーFMの開設準備を進めていたさなかで、急きょ、臨時災害放送局「みやこ災害エフエム」を3月22日に開局。13年にコミュニティーFM「みやこハーバーラジオ」に移行するまで、機材操作から取材、パーソナリティーまで何でも担当した。

 どこなら携帯電話の電波は入るか、ガソリンや食料はどこで手に入るかといった情報から、仮設住宅への訪問販売や地域の催しなど、その時に応じ必要な情報を発信。電話が通じない時期には、ボランティアの学生らが実際に現地に行き、確かめた情報を流すことを心掛けた。「停電でも聴けるラジオの重要さを実感した。これからの災害でも大切になると思う」と振り返る。

 佐藤さんの自宅跡地は災害危険区域に指定されたため、住居を建てることはできず、現在は宮古市で暮らす。この11年は「長いとも短いとも言えない。毎日複雑な思いが交錯するし、それはきっとこれからもそのまま」と話す。

 「『津波てんでんこ(津波が来たら自分だけでも逃げる)』とよく言うが、あの時自宅に居たら、体が不自由だった父を置いて逃げるなんてできなかった。高齢者や体の不自由な人は連れて逃げないといけない」と佐藤さん。

 例えばその状況になったら自分はどうするか、家族はどう逃げるか。「他人の話ではなく、自分の事としてみんなが自覚することが大事。そのためには家族や学校で、地域で、報道で(経験を)伝えていかないと」と力を込めた。