津波から再生し30年先へ、育む宮城の海岸防災林


維持管理は始まったばかり、担い手確保や周知活動に課題

津波から再生し30年先へ、育む宮城の海岸防災林

海岸防災林について説明するオイスカの吉田俊通さん=1月25日、宮城県名取市

津波から再生し30年先へ、育む宮城の海岸防災林

海岸線に沿って新しく植えられた海岸防災林=2018年8月1日、仙台市若林区(宮城県提供)

 潮風や飛砂から内陸部を守ってきた宮城県の海岸防災林は、東日本大震災の津波でほぼ消え去った。再生に向けた新しいマツの植え付けは終えたが、成木となる30年先を見据えた維持管理は始まったばかり。防災林の認知度向上や活動の担い手確保も課題となっている。

 国や県が管理する松林のうち1753ヘクタールが浸水。広範囲を計画的に再生させるため、国や県、民間団体などが連携し植栽や維持管理を担った。

 同県名取市で活動するのは国際NGO「オイスカ」と、被災農家らでつくる「名取市海岸林再生の会」。国内外で緑化活動の実績があるオイスカは、震災直後に海岸林の再生に手を挙げ、民間としては格段に広い約100ヘクタールを引き受けた。住民らと苗木の育成や植栽に取り組み、2020年までに約37万本を植えた。

 最も早く植えた木は5メートル以上に成長。根を強く、幹を太く育てるため間伐を始めており、30年以上かけてかつての海岸の風景を取り戻すのが目標だ。再生の会メンバーの桜井勝征さん(79)は「よく育ったもんだ」と木を見上げ、「防災林のおかげで潮風から田んぼを守ることができた。これからも見守りたい」と笑う。

 今後は専門業者やボランティアの力を借り、除草や成長に合わせた間伐などが続く。オイスカの吉田俊通さん(52)は「防災林再生はまだ途上。地元の若手とのつながりづくりや周知活動はずっと続けていかなければ」と力を込める。18年は県内で延べ6000人だったボランティアは減少傾向で、人手の確保も重要となる。

 防災林の役割はあまり知られていない。身近に感じてもらおうと、県は21年、バスツアーを初めて開催。家族連れや学生ら約60人が作業体験と周辺施設の観光を楽しんだ。参加者からは「後世に残る作業を手伝えて誇り」「木が大きくなるのが楽しみ」との声が聞かれ、22年度も継続する。

 沿岸のにぎわいを後押しするため、防災林再生の協定団体が開催するイベント経費の一部を補助する事業も始める。県の担当者は「SNS(インターネット交流サイト)やバスツアーを契機に、若い世代に活動に参加してもらいたい」と話している。