あさま山荘事件から50年、 殉職警察官2人を慰霊


長野県警などが黙とう、「一生消えることのない大きな事件」

丈70m、幅40m、重さ700kg 誰のズボン?

連合赤軍の「あさま山荘事件」から50年を迎え、顕彰碑「治安の礎」に手を合わせる長野県警軽井沢署の柏木隆署長=28日午前、長野県軽井沢町

あさま山荘事件から50年、殉職警察官2人を慰霊

連合赤軍の「あさま山荘事件」から50年を迎え、顕彰碑「治安の礎」に手を合わせる当時の機動隊員ら=28日午前、長野県軽井沢町

 過激派の連合赤軍による「あさま山荘事件」は28日、人質救出とメンバーの逮捕から50年を迎えた。長野県軽井沢町の現場付近に建てられた顕彰碑「治安の礎」には、県警軽井沢署員や当時の機動隊員らが訪れ、殉職した警視庁の機動隊員2人に黙とうし、献花した。

 県警機動隊の分隊長として山荘に突入した箱山好猷さん(86)は、当時の隊員6人と共に献花。「突入隊員にとって、一生消えることのない大きな事件」と振り返った。殉職した2人の警察官には「前線で指揮を執ってくださった。ありがとうございました」と冥福を祈った。

 柏木隆軽井沢警察署長は献花後、「(当時の警察官の)決意や使命感を忘れず、今後も引き継いでいきたい」と話した。

 事件は1972年2月19日発生。銃で武装した連合赤軍メンバー5人があさま山荘に人質を取って立てこもった。

 9日後の28日、県警と警視庁の機動隊員が山荘に突入。メンバー5人を逮捕し、人質を救出した。

 任務に当たった同庁第2機動隊隊長、内田尚孝警視長=当時(47)、2階級特進=と、特科車両隊の高見繁光警視正=当時(42)、同=が銃撃され殉職した。