あさま山荘事件50年、突入志願「使命を果たす」


元長野県警機動隊員・箱山さんに聞く、人質救出に全力

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1972年の「あさま山荘事件」で、2階に突入後、旗を振る長野県警機動隊員の箱山好猷さん(箱山さん提供)

あさま山荘事件50年、突入志願「使命を果たす」

1972年の「あさま山荘事件」について、当時の状況を説明する元長野県警機動隊員の箱山好猷さん=1月26日、長野県上田市

 過激派グループ連合赤軍のメンバーらが長野県軽井沢町の「あさま山荘」に立てこもった事件は、人質救出とメンバーらの逮捕から28日で50年となる。県警機動隊の分隊長として山荘への強行突入に加わった箱山好猷さん(86)が取材に応じ、当時の緊迫した様子を語った。

 1972年2月19日、銃で武装した連合赤軍メンバー5人が、あさま山荘に管理人の妻牟田泰子さんを人質に取って立てこもった。こう着状態が続き、警察は何度も作戦を練り直した。

 山荘2階に人質がいる可能性が高いとされ、県警機動隊が突入することになった。箱山さんは「誰かがやらなければ」との思いで志願。破壊工作班長に任命され、隊員5人と人質救出に向かうことが決まった。

 突入決行の28日朝、軽井沢署から現場に向かう車中、箱山さんの目に雪化粧をした山々が映った。朝日が照らし黄金色に輝く雄大な自然を前に、ふと自宅で帰りを待つ妻と小学生の息子2人の顔が浮かんだ。心の中で「もしものときは親子3人、いつまでも元気で仲良くいてくれ」と語り掛けた。

 突入命令が下り、「行くぞ」と隊員らを鼓舞した。箱山さんの指揮の下、隊員らがハンマーなどを使ってブロックの外壁を壊していると、突然「分隊長、危ない!」という隊員の叫び声が。メンバーが投げた爆弾が足元に落ちたが、幸いにも不発だった。

 箱山さんは「爆発すれば死んでいたかもしれないが、当時は自らの使命を果たすという思いしかなく、恐怖はなかった」と振り返る。

 壁を突き破り、制圧用のガス弾の煙が立ちこめた2階に入った。メンバーらの姿がないことを確認し、窓から旗を振った。その後、3階にいた5人が逮捕され、人質が無事救出されたとの報告を聞き、胸をなで下ろした。

 事件では、警察官2人が殉職した。「2人のご功労のおかげで、世の中は平穏になっています」。50年を経て、共に命を燃やした同志にそう伝えたい。