晩年まで精力的に執筆 、一貫した 「物書き」 自負


政治家として論壇界で存在感を放ち続けた石原慎太郎さん

晩年まで精力的に執筆 、一貫した「物書き」自負

1966年に撮影された石原慎太郎さん

 タカ派政治家として保守論壇界でも存在感を放ち続けた石原慎太郎さんに一貫していたのは「物書き」としての自負だった。一橋大生だった1956年に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞、鮮烈なデビューを果たし、政界進出後もベストセラーと共に多くの流行語を生んだ。

 「太陽の季節」は既存の価値観にあらがう若者の生きざまを通し、戦後世代の解放的な精神や奔放な性意識などを活写。映画化に伴い、「太陽族」という流行語も誕生。「狂った果実」「完全な遊戯」といった小説で若者のモラルに目を向け、「処刑の部屋」「聖餐」などで戦後の時代性を切り取った。

 政界進出は68年だが、59年のシンポジウムで政治家への意欲を示し、「そういう意思を持ちながら、おそらく一生小説を書くだろう」と語ったこともあった。

 70年の「化石の森」で芸術選奨文部大臣賞、88年の「生還」で平林たい子文学賞を受賞。実弟で俳優の故石原裕次郎さんの生涯を描いた96年の「弟」はミリオンセラーとなり、毎日出版文化賞特別賞を受けた。95年から2012年まで芥川賞選考委員を務め、才能の発掘にも尽力した。

 「戦後保守派」の論客としてノンフィクションも多く手掛けた。「スパルタ教育」(69年)は独自の子育て論でベストセラーとなり、ソニー会長だった故盛田昭夫さんとの共著「『NO』と言える日本」(89年)は国際社会での日本のあるべき姿を論じ、米国でも話題となった。

 晩年まで精力的に執筆を続け、かつて政敵”だった田中角栄元首相の人生を一人称の文体で振り返った「天才」(16年)は、出版界に角栄ブームを起こした。作品は小説やエッセー、対談本など多彩で、21年10月には父の敵討ちに臨む兄弟をハードボイルドな筆致で描いた表題作を含む短編小説集「宿命(リベンジ)」を出したばかりだった。