町工場が作る「下町ボブスレー」、北京へ望み


五輪2度「不採用」糧に、「いつかオールジャパンで」

町工場が作る「下町ボブスレー」、北京へ望み

「下町ボブスレー1号機」を前に取材に応じる下町ボブスレープロジェクトの黒坂浩太郎委員長=2021年12月17日、東京都大田区

町工場が作る「下町ボブスレー」、北京へ望み

溶接作業をする後藤智之さん=2021年12月23日、東京都大田区

 北京冬季五輪の開幕まで1カ月を切る中、東京都大田区の町工場などによるプロジェクト「下町ボブスレー」が3度目の五輪挑戦に向けて、そり開発を進めている。過去2大会は不採用。メンバーの頭には「解散」もよぎったが、経験を糧に今回、イタリア代表への採用を狙う。

 バチッ、バチッ-。冷たい空気に鉄の焼けるにおいが混じる。2021年12月、大田区の溶接工場で下町ボブスレーの溶接を取り仕切る後藤智之さん(37)が一人、黙々と作業をしていた。「いかにひずみを出さず溶接するか。タイムの遅れだけでなく、振動で壊れないように気を付けている」

 プロジェクトは11年に発足。これまで国産製品がなかったボブスレー競技のそり開発に目を付け、切削や溶接、研磨など金属加工に携わる職人の技術力を世界にアピールしようとした。

 だが、道のりは険しかった。14年ソチ五輪は日本代表から採用を見送られ、18年平昌五輪はジャマイカ代表との契約が大会直前に白紙に。「『下町』は消滅してしまうのか…」。平昌大会後にプロジェクトの委員長に就任した黒坂浩太郎さん(52)は、不安を抱きながらも「今まで関わってきた人たちの積み重ねを途絶えさせてはいけない」と再始動を決意した。

 乗ってもらえる国はないか。21年3月、テスト走行したイタリア代表から好感触を得た。ただ、プロジェクト参加企業はピーク時の約100社から20社程度まで減り、そりの部品約200点を作る1社当たりの負担は増えた。各社が通常業務の合間や、残業時間にそり製作に当たり、コーナリング性能や約150キロある機体の強度を向上。設計を始めた同年8月から約4カ月で2人乗りのそり2台を造り上げた。イタリアは今年1月の世界大会で「下町」のそりを使い、同月中旬にも北京五輪で採用するか判断するという。

 冬季五輪をめぐっては、札幌市が30年大会の招致を目指しており、競技会場として長野市のそり競技場を活用する案を示している。「長野でテスト走行が本格化すれば楽しくなってくる。そりも選手も、オールジャパンで五輪を戦いたい」。日本代表から採用され、母国の舞台で「下町」のそりが走る日を、黒坂さんは夢見ている。