生涯芸道を追求「余計なことは要らない」
落語家の柳家小三治さんが死去、飾らずに伝えることを追求
何事もないかのように話し、それが何とも言えないおかしみを醸し出したり、爆笑を誘ったり。柳家小三治さんはこれ見よがしな話術を嫌い、落語そのものの面白さを飾らずに伝えることを生涯追求した。
「このごろの人は芸が多弁で、装飾を良しとするところがあるが、余計なことは要らない。棒読みでいい。すると、聴く人の頭の中に(登場人物の)様子や情景、その奥に広がる物語が手に取るように見えてくる」
2019年のイベントでそう語った小三治さん。緻密で楷書的な芸風の八代目桂文楽の語りが「素晴らしかった」と感嘆し、「私も年はいったが、まだ駆け出し。そういうふうになりたいと思っているんですがね」と話していた。
今年7月の会見でも、最近魅力を再発見したという作家・永井荷風を引き合いに「何でもないことを何でもなく書いている。はなし家だったら、面白おかしいことを『どうだ面白いだろう』って言うんじゃなく淡々と述べる」と語った。
「今までの小三治のあり方が正しい道だとすれば、今はだいぶ疑わしい。もう駄目なのかもしれない」と高齢の不安も口にしたが、「今の俺には『よし、やってやるぜ』というものがある」と自らを奮い立たせていた。
先の19年のイベントでは「これでいいと思ったことはない。きょうよりあした。あしたよりあさって。100歳になっても落語をやりたい」と向上心を絶やさなかった小三治さん。その姿勢を貫き、亡くなる5日前まで高座に上がり続けた。