子供の瞳が突き動かし、裏方から表舞台へ


テコンドー田中光哉選手「子供たちの見本になる選手に」

子供の瞳が突き動かし、裏方から表舞台へ

テコンドー男子61㌔級準々決勝、蹴りを放つ田中光哉選手(左)=2日、千葉・幕張メッセ

 東京パラリンピックから採用されたテコンドーで、男子61㌔級に出場した田中光哉選手(29)。パラアスリートのメダルに触れ、瞳を輝かせる子供たちの姿が忘れられず競技の世界に飛び込んだ。

 両腕に障害を持って生まれた。サッカーや剣道を経験したことから、大学卒業後に東京都障害者スポーツ協会に就職。パラスポーツを支える立場から選手と身近に接し、2016年のリオデジャネイロ大会で活躍する姿はまぶしく映った。

 リオで団体銀メダルに輝いたボッチャの選手2人に付き添い、熊本地震で被災した小学校を慰問した経験は、その後の人生を変えるきっかけになった。メダルを触って目を輝かせる子供たちを見て、「アスリートにしか伝えられないものがある」と感じた。

 同時に芽生えたのは「チャンスは一度」の思い。「サッカーに通じるものがある」と思い付き、洪君錫さんが師範を務めるテコンドー道場の門をたたいた。

 しかし、洪さんは当時、「一緒に世界に挑もうという気持ちになれず、数カ月間はやめさせる気でやった」という。基本のステップを1時間繰り返させ、まめが破れて道場の床が血まみれに。

 それでも文句一つ言わずに練習する姿に、根負けした洪さんは「あなたを尊敬します」と告げた。

 田中選手は「子供たちが横で笑顔でやっていることを、できないわけはないと必死に食らい付いていっただけ」と謙遜する。

 メダル獲得を目標にした本番は初戦、敗者復活戦と敗れた。「もっと強くなって、子供たちの見本になれるような選手になりたいと改めて思った」と涙をこらえながら語り、雪辱を誓った。