東京パラリンピックの意義、障害者はどう見る?
「苦しむ人の希望に」「同情なら違和感」、24日に開幕
開幕が24日に迫った東京パラリンピック。障害者スポーツの祭典は、共生社会実現の契機としても期待される。障害者らは「苦しむ人の希望になって」と願うが、「感動の中に同情が含まれると違和感がある」と受け止める人もいる。
全身の筋肉が徐々に衰える難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と闘いながら、難病患者の医療相談に乗る医師太田守武さん(50)は、厳しい練習を重ね、大舞台に立つ姿は「不可能などないとわれわれに示してくれる」と選手らの活躍に期待する。重い障害を抱え、生きる意味を見失う人もいる中、「苦しみを抱える人の希望となってほしい」と願いを込める。
「パラアスリートはすごく頑張っている。大成功してほしい」と語るのは、生まれつき両手脚が使えず、車いすで活動する芸人のホーキング青山さん(47)。「障害の認知を高め、バリアフリー促進に寄与してきた」と大会の意義は評価しつつも、「体が不自由な中で精いっぱい頑張っている、と感動の中に同情が含まれると違和感がある」と話す。
リオデジャネイロ大会では、陸上男子1500メートル(視覚障害T13)の上位4選手が、いずれもリオ五輪の男子1500メートル金メダリストのタイムを上回った。「こういう人たちが健常者と同じ舞台で勝ったら面白い。純粋にスポーツ、勝負として楽しめる日が早く来るといい」と望む。
身体障害者による劇団「態変」を主宰し、自身もポリオの後遺症がある金満里さんは「世の中は何ができるかにばかり焦点を当てている」と指摘する。「できないことにこそ命のエッセンスがある」と考え、障害者にしかできない身体表現にこだわり続けてきた。
強さや速さばかりを競い合うのは「健常者の価値基準」との思いから、大会には賛同していない。障害の種類ごとに選手をクラス分けするのではなく、「1人ずつの多様性として捉えるようになってほしい。その方がわくわくする」と話した。