陸上男子マラソン、大迫傑が万感の6位入賞


驚異の追い上げ、表彰台の可能性も示した涙のラストラン

陸上男子マラソン、大迫傑が万感の6位入賞

陸上男子マラソン、6位でゴールする大迫傑=8日、札幌市(代表撮影)

 競技人生最後のレースと表明して挑んだ五輪。表彰台も見えていた。大迫が日本勢2大会ぶりの入賞となる6位。「やり切ったというところが全て。一歩一歩、かみしめながら走り切ることができた」。万感胸に迫り、涙があふれ出た。

 キプチョゲが仕掛けた30キロすぎに8番手まで後退した。終盤を見据えた冷静な判断だった。「下手に3位以内を狙うと大きく崩れる。体と相談しながら走った」。驚異的な追い上げを見せ、36キロ付近で6位に浮上。2位集団に一時15秒差まで迫り、メダルの期待も抱かせた。

 あえて厳しい環境に身を置いて成長してきた。「ただ速くなりたい一心」で東京の実家を出て、長野・佐久長聖高へ進学。食事、風呂、就寝、げた箱の番号まで「1番」にこだわった。当時の監督で、現東海大監督の両角速さんは「次元が違って志の高い子」と話す。

 早大を経て入った実業団の日清食品グループを1年で退社。安定した生活を捨て、2015年にプロ選手になった。「目の前にチャンスがあるのに、挑戦しない方がリスク」。幼い娘と妻を連れて渡米し、世界トップ選手が集まる「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」(19年閉鎖)に加入した。

 マラソンは17年4月に初挑戦したボストンで3位。日本記録を18年と20年に塗り替え、今年もケニアの高地で合宿を行い、大舞台に懸けてきた。早大時代の恩師で住友電工監督の渡辺康幸さんは「強くなるためだったらドブにも入るぐらい何でもする男」と表現する。

 世界の表彰台への可能性を示し、「最後の役割として陸上界に残せた。100点満点をあげたい」と誇った。妥協なく過ごした日々に後悔はない。「マラソン王国としての日本人のプライドを持って、戦っていってほしい」。晴れやかな笑顔を浮かべ、後輩に思いを託した。