ライバルに敗れ「0.01%の可能性」から頂点へ
レスリング須崎選手、失意の時もひたむきに練習し夢を実現
全試合1ポイントも許さない圧勝だった。レスリング女子50キロ級で金メダルに輝いた須崎優衣選手(22)=早大=。ライバルとの大事な一戦に敗れ、夢に描いた五輪の道が絶たれたかに見えた。「0・01%の可能性」に懸け、巡ってきたチャンスをひたむきさでつかんだ。
四つ上の姉麻衣さんと一緒に小学1年から始めた。千葉県松戸市のクラブで指導した野間良秀さん(65)は「気持ちが強く、教えていないのにタックルに入れた」と語る。
高速タックルを武器に白星を量産し、中2でエリートアカデミー入り。安部学院高2年で日本一になり、高3の2017年に世界女王になった。
順風の選手生活だったが翌年、靱帯(じんたい)断裂の大けがに見舞われた。復帰した19年、五輪代表につながる世界選手権の代表を懸け入江ゆき選手と一騎打ちし、敗れた。実力者の入江選手が世界選手権でメダルを取れば、夢はついえる。
「0・01%の可能性に懸けよう」。吉村祥子コーチの励ましを合言葉のように家族や指導者、大勢の友人らが支えた。
母和代さん(50)は「負けた時、長いレースが終わって少しほっとしたのも事実」と打ち明け、麻衣さんは「これで終わるのかなと思うと違和感があった」。クラブと高校の先輩、斎藤ほのかさん(27)は「優衣はチャンスがあるなら休むわけにはいかないと、気付いたら道場で練習していた」と明かす。
結果は入江選手の準々決勝敗退。再び巡ってきたチャンスを生かし、今年4月の五輪アジア予選で出場権を手にした。
「20才の優衣へ」。当時10歳の少女は未来の自分に「高校、大学には行けてますか?」と語り掛け、「私は、オリンピックをめざしています」とつづった。その20歳は失意の中にあったが、諦めず、夢を2年後に実現させた。