信楽高原鉄道事故から30年、犠牲者42人を追悼


JR西の列車と正面衝突、追悼の言葉を慰霊碑の前に供える

信楽高原鉄道事故から30年、犠牲者42人を追悼

信楽高原鉄道事故から30年となり、現場近くの慰霊碑前で行われた追悼法要=14日午前、滋賀県甲賀市(代表撮影・時事)

 滋賀県信楽町(現甲賀市)で1991年5月、信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が正面衝突し、42人が死亡した事故は、14日で発生から30年となった。現場近くの慰霊碑前では同日午前、追悼法要が行われた。

 法要には遺族のほか、SKRの正木仙治郎社長、JR西の長谷川一明社長らが参列した。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、昨年と同様に参列者を限定し、時間も短縮。両社長による追悼の言葉は、読み上げず慰霊碑の前に供えた。

 正木社長は「安全最優先の運行方針の下、地域に貢献できるよう努力を重ねる」と強調。長谷川社長は「安心、信頼して利用される鉄道を築き上げる」と誓った。

 遺族らは93年、事故調査の充実を目指して民間の「鉄道安全推進会議」(TASK)を設立。2001年の国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)発足に結び付けた。花火大会の見物客11人が死亡した兵庫県明石市の歩道橋事故や、106人の犠牲者を出したJR福知山線脱線事故などの遺族支援に取り組み、19年に活動を終えた。

 法要に参列した福知山線脱線事故の遺族の藤崎光子さん(81)は「新型コロナの影響で経営が厳しくとも、安全対策はおろそかにしないでほしい」と訴えた。