東アジア安保の2本柱
韓中関係について日本では一般的に「韓国には未だに事大思想が強く、親分子分のような主従関係ではないのか」との見方がある。韓半島を中国の属国視する先入観が残っているためだろう。
しかし、6世紀初、高句麗の広開土大王(19代)高談徳は今の中国・東北3省の地域である満洲大陸を支配、経営した。広開土大王碑石(好太王碑)などの遺跡が当時の強大国家、高句麗の歴史を物語っている。
6世紀後半、中国大陸を統一した隋は30万大軍を動員して高句麗の首都、平壌城を2回も侵攻したがいずれも全滅し、これが崩壊の火種となった。7世紀中盤、大陸を統一した唐は23年間も高句麗への侵攻を繰り返したがその度に撃退された。
その後、半島では高句麗、新羅、百済3国が覇権を争う。新羅は唐と同盟して百済、高句麗を滅ぼしたが、当時、百済と同盟した日本は2万7000人の支援兵力を百済に送った。それが日本初の海外派兵だった。三国を統一した新羅はその後、国内で唐軍と争い全て退却させた。この事実は韓民族の粘り強い自主性と独立性を物語る一例として挙げられている。
韓半島の地政学的な位置は大陸勢力と海洋勢力がもみ合う戦略的な要衝地となっており、したがって大陸勢力と海洋勢力が衝突、角逐する交点となってきた。代表的な例が隋、唐の侵攻とモンゴルの侵攻、豊臣秀吉の朝鮮出兵、さらに朝鮮戦争だった。現在の休戦ラインがまさに大陸勢力と海洋勢力を分けるセンターラインになっている。
大陸勢力と海洋勢力の侵略が絶えない地政学的な環境にも関わらず国全体が崩れなかったのは世界史にも例がない。朝鮮時代の事大思想は屈従というより安保上の知恵として評価するのが妥当だろう。核を持ってない日本と韓国が周辺の核保有国を牽制(けんせい)するためには「遠交近攻(同盟)」と「勢力均衡」を保つ道しかない。
これこそ東西古今にわたって永遠に変わらない外交安保の鉄則だ。したがって「韓米同盟」と「日米同盟」は韓半島と東アジア地域の平和と安保を支える二本柱である。そのうち一つでも壊れたら堅い建物も一気に崩れてしまう。韓半島が統一されても同盟による勢力均衡は変わらないはずだ。
歴史はいつも繰り返される。歴史の教訓を忘れたらわが家と家族、国家の生存が危ういという事実を再認識すべきだ。
(拓殖大学客員研究員・元韓国国防省北韓分析官)






