きょう36回目の「北方領土の日」 四島返還望む元島民

一世が生きている間に実現を

公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長 脇 紀美夫氏に聞く

 戦後、ロシアが我が国固有の領土である北方四島を不法占拠してから70年余りの歳月が経過する。これまで元島民をはじめ多くの国民が返還運動に力を注いできたが、日本とロシア両国政府による交渉は遅々として進まない。元島民一世の高齢化が進む中で焦りと苛(いら)立ちだけが募る。それでも元島民は「生きている間に四島返還を実現させたい」と希望をつないでいる。昨年5月に新しく公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長に就任した脇紀美夫氏に今年の運動の方針などについて聞いた。
(聞き手=札幌支局・湯朝肇)

脇理事長は、北方領土にも近い羅臼町の町長を長年務めてこられ、昨年5月に小泉敏男前理事長の後を受け継いで新理事長に就任されました。北方領土への思い、返還運動への抱負をお聞かせください。

脇 紀美夫氏

 私は一昨年まで3期12年の間、羅臼町長を務めてきた。私自身、国後島出身なので元島民として島(北方領土)への思いは人一倍強いと思っている。ただ、これまで行政を預かるものとして一方的に偏ることはせず、返還運動には距離を置いた形で客観的な立場をとってきた。昨年5月に、連盟の理事長として23年間返還運動を牽引(けんいん)されてきた小泉敏男前理事長の後を受け継いだが、町長の時と違い今度は、元島民の思いを形あるものに実現すべく、当連盟の仕事に関わっていきたいと考えている。

 個人的なことだが、現在、私の住んでいる所から25㌔㍍先に国後島がある。海の向こうには私が生まれ育った山がはっきり見える。本当に近い。しかし近くて遠い島、近くに見えていながら自由に行き来できない島になっている。そんな忸怩(じくじ)たる思いでこれまで生きてきた。元島民は皆そうした思いを持ち続けてきた。

新理事長は国後出身ということですが、戦争直後、ソ連軍(当時)の不法占拠が行われた当時は、どのような状況だったのでしょうか。

北方領土

 私は国後島の爺爺岳(1822㍍)という山の麓で育った。ソ連軍が侵攻する際に、島からの引き揚げには二通りがあった。一つはソ連軍が侵攻するという噂(うわさ)を聞き付け、先に脱出したグループ。そしてもう一つは島に残った者が強制的に退去させられたグループ。ソ連軍は3年かけて日本人を全員強制退去させた。私が島を追い出されたのは小学校1年の7歳の時。断片的な思い出しかないが、まず船に乗せられてサハリン(樺太)の真岡に行き、そこで強制収容所に入れられた。そこにしばらく滞在した後、引き揚げ船で函館に連れていかれた。幸い羅臼には母方の叔父がいたので、叔父を頼って羅臼にたどり着いた。以来、羅臼での生活が続いている。

戦後70年間、返還運動を続けてきましたが、日露両国の交渉はなかなか進まない状況ですが。

 これまでに日露の首脳会談が開かれ、節々には期待されるようなことがあった。しかし、結果として70年前と全く変わっていない。これまで何度か首脳会談は開かれたが、交渉のスタートラインに就くことの確認だけで、そこから進んでいないのが実情だ。70年たった今でも返還の道筋、兆しは見えてこない。プーチン大統領の訪日が昨年秋からずれ込んで、年内訪日という話になっている。さらに今年4月に安倍総理がロシアを訪問するという。交渉は政治の世界のことなので我々はよくわからないが、我々としては、何とか返還への道筋をつけてほしいと願っている。それまで決して諦めることなく返還運動を粘り強くやっていくことに尽きると私は考えている。

国内には二島返還、三島返還といった声がありますが、これについてはいかがですか。

 元島民と呼ばれる人々は四島の出身者だ。元島民の集まりであるわが連盟で四島出身者が一人でもいる限り四島返還を訴えるのが道理。政府にはあくまでも四島の帰属、四島返還を貫いてもらいたい。

これまで北方四島との間ではビザ(査証)なし交流、自由訪問などの交流が進められてきました。今後、どのような活動を展開されていきますか。

 北方四島との交流は今後も継続していきたい。ビザなし交流にも色々な形があるが、墓参と自由訪問は人道上どうしてもやらなければならない事業だ。元島民が自分の住んでいた所に身を置くことのできる自由訪問、先祖の墓をお参りに行くことのできる墓参は途切れることなくやってきたし、これからも行っていく。私もこれまで何度か北方四島を調査隊やビザなし交流で訪問しているが、その度に島がロシア化されて、我々が生活した足跡が消されている。これもまた残念なことに尽きる。

元島民一世の高齢化が進んでいます。返還運動の後継者育成も大事ですね。

 私どもの連盟の事業の一つに「さっぽろ雪まつり」会場での署名活動がある。ただ、元島民の平均年齢が80・4歳。彼らが返還運動の先頭に立つことは体力的に無理がある。ということは二、三世に委ねざるを得ない。私としては一世が生きている間に返還を実現してほしいという思いはある。しかし、現実には返還までにはこの先長い時間がかかるとすれば若い人につないでいく必要がある。そのためには一世の思いを彼らに共有してもらうことが不可欠。ただ、二、三世も具体的に生活を抱えているわけで、そうした事情を考慮しながら何とか若い人たちにもわれわれの思いを理解してもらい、国民の協力を得ながら返還運動を盛り上げていかなければならないと考えている。