デイトン和平協定20年 ボスニア問題の罪人は和平協定
国際経済比較研究所上級エコノミスト ウラジミール・グルゴロフ氏に聞く
20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を生み出した欧州戦後最大の民族紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年4月~95年12月)に終止符を打った「デイトン和平協定」が調印されて今月14日で20年目を迎える。ボスニア連邦とスルプスカ共和国の2共和国に分断された連邦国家ボスニアは今なお、民族紛争の痛みと分断に苦しんでいる。そこでウィーンの著名な国際経済比較研究所(WIIW)のバルカン経済専門家ウラジミール・グルゴロフ上級エコノミストにデイトン和平協定後20年の成果、課題などについて聞いた。
(聞き手=ウィーン特派員・小川敏)
統合より分断を加速/共存の歴史に断絶
若者の失業率50%以上/望まれる日本企業の投資

Vladimir Gligorov 1945年9月生まれ。ベオグラード大学経済学部卒、95年から現在に至るまで、WIIW上級エコノミスト。バルカン経済専門家。ウオール・ストリート・ジャーナル紙など多数の欧米メディアでバルカン経済の分析記事を寄稿している。
――ボスニア和平後の過去20年間、国民経済は復興したか。
大きな成果が遂げられたとは誰もが言えないだろう。紛争後の5、6、7年目は経済面だけではなく、あらゆる分野で不安定だった。その後、2008年から09年の危機を迎える前まで少しは回復したが、その後はボスニア経済は停滞している。
――WIIWは今年のボスニアの経済成長率を1・8%と予測している。
過去4、5年を考えると、1・8%の成長率は高くない。失業率は30%に近い。
青年の失業率はもっと高いと聞く。
若者の失業率は50%を超える。デイトン和平協定後の過去20年間の経済成長を考えるならば、あなたは失望するだけだろう。
――ボスニア経済が過去20年間、なぜ成長できなかったのか。ボスニアは小国だから、経済政策がうまくいけば、回復も早いはずだ。
ボスニア紛争で多くの産業インフラは破壊された。また、治安・安保問題と憲法問題がボスニアの成長を妨げてきた。あなたはボスニアに期待し過ぎてはならない。ボスニアは山が多く、農業製品や観光業より、本来、工業の生産に向いている。しかし、不安定なボスニアに必要な投資をする者はいないのだ。過去20年間、ボスニアに流れ込んだ資金の大部分は外国直接投資ではなく、海外出稼ぎ組からの送金や国際社会からの支援金だったのだ。
――すなわち、ボスニア経済は海外からの送金、支援金で維持されてきたというわけか。
その通りだ。この事実は、ボスニアの失業率がなぜ常時高いのかを説明しているだろう。同時に、海外移住者の増加だ。若者が国内で職場を見つけるチャンスは非常に低い。結論を下すならば、過去20年間のボスニア経済は決してサクセス・ストーリーとは言えないのだ。
――ボスニア連邦には3民族が居住し、イスラム系とクロアチア系住民から構成されたボスニア連邦とセルビア系住民が住むスルプスカ共和国の2分断された連邦国家だ。民族紛争後、3民族の共存はなお難しいと聞く。
デイトン和平協定の結果だ。同協定は3民族の分断を固定化した。だから、政治、司法、ビジネス、雇用など全ての分野が民族に基づいて決定されている。これは大きな問題だ。ボスニア国民は同じ言語を話し、互いに理解でき、社会的な交流をしてきた長い共存の歴史があった。それがデイトン和平協定によって民族間に境界線が引かれ、人々を分断させてしまったのだ。
――ボスニアの社会、政治的発展の最大の阻害はデイトン和平協定にあるというわけか。
あなたがセルビア人で、スルプスカ共和国に住んでいる場合、あなたは政治的にもビジネスでも特典を享受できる。一方、ボスニア連邦の場合、クロアチア系かイスラム系の住民が同じように恩恵を受けるわけだ。国民を分裂させる国家体制を構築したのがデイトン和平協定だったのだ。繰り返すが、ボスニアの諸問題の罪人はデイトン和平協定だ。それは人々の統合を進めるより、分断を加速させていったのだ。
――デイトン和平協定20年目は、ボスニア国民にとって祝日ではないというわけか。
その通りだ。デイトン和平協定を改正することは困難だ。デイトン和平協定は国際協定だからだ。非常に複雑な問題が絡んでくる。だから、ボスニア国民だけでは政治的改革をもたらすことはできないのだ。
――スルプスカ共和国内で、ボスニア連邦から独立を訴える声が聞かれる。母国セルビアの併合問題までささやかれている。
セルビア系住民の間でそのような発言をする者もいるが、ボスニア連邦から独立することは容易ではない。国際条約を破棄することになり、どのようにして実現できるかも不明だ。セルビア共和国との併合が実現されれば国際問題だ。セルビアはウクライナのクリミア半島を併合したロシアのようにはできない。スルプスカ共和国のセルビア併合はセルビア側にとっても支持できないだろう。
――ボスニアの首都サラエボでは、サウジアラビアやイランの影響が濃くなってきたという情報がある。
ボスニアのイスラム系住民は大多数が世俗化イスラム教徒だ。トルコ系イスラム教徒だ。確かに、サウジやクウェートがサラエボでホテルを建て、イスラム寺院を建設しているが、彼らは少数派にすぎない。サラエボを訪問すれば、多くの女性はスカーフなど着けていないのを目撃できるだろう。
――国際支援と協調について伺いたい。欧州は難民問題、テロ問題、ウクライナ紛争と多くの難題を抱えている。ボスニアに対する関心が薄れてきているのではないか。
デイトン和平協定締結時と現在では政治情勢が異なる。当時は欧米諸国とロシアがボスニア紛争の解決に努力し、ロシアは和平協定履行の監視国でもある。しかし、欧州とロシアは今日、ウクライナ紛争問題で対立している。それはバルカン諸国の政情悪化にもつながることは確かだが、それ故に、ボスニアに対する関心も高まってきているのだ。
米国やロシアはボスニアで活発な外交活動を再開している。欧州連合(EU)も同様だ。ボスニアの欧州統合テンポの加速など積極的になってきている。逆説的に聞こえるかもしれないが、中東諸国で問題が出てくると、バルカンの戦略的価値は高まる。
――最後に、日本の対ボスニア支援について伺いたい。
日本はボスニアを含むバルカン諸国への重要な支援国だ。日本はこれまで多大の貢献をしてきた。ボスニアにとって願われる点は、日本企業の投資だ。日本企業はボスニア市場への進出にちゅうちょしているが、ボスニア国民は勤勉で能力を有している。もちろん産業インフラは良くないが、ボスニアは海へのアクセスを持っているから、ボスニアで製造した商品を欧州市場へ輸出できる道がある。