過去からの教訓は未来への指針
歴史に学ぶ面白さ
歴史探訪ゼミナール主宰 佐藤義信氏に聞く
我が国の中学・高校で勉強する歴史、とりわけ世界史は西欧史が中心となっているといっても過言ではない。とりわけ大航海時代以降の世界史の中心舞台は西欧であった。覇権を争い植民地を拡大した西欧列強諸国の行きつく先は世界大戦であった。2度にわたる大戦は甚大な犠牲を生んだが、今なお大国と呼ばれる国々は覇権争いを続けている。混迷する現代世界の中にあって歴史の事実から我々は何を学ぶべきなのか、歴史探訪ゼミナール主宰の佐藤義信氏に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)
世界に羽ばたく基礎/興味尽きない女帝たち

さとう・よしのぶ 昭和19年、秋田県出身の佐藤氏は昭和43年に日本大学大学院法学研究科を修了した後、北海道の道都大学教授として長年教壇に立たれた。専攻は私法学だが、歴史とりわけ西欧史に造詣が深い。大学退職後は自ら歴史探訪ゼミナールを定期的に主宰する傍ら札幌市内のNHKカルチャーセンターの講師として西欧史の魅力を語る。単に歴史の事実のみを勉強するのではなく、「現在は過去の累積であり、歴史を知らずして現在は語れない」として歴史の持つ意味の重要性を説き、とくに現代社会のこの時こそ歴史を学ぶ意義を訴える。
――近年、歴史への関心が高まりつつあると聞いています。“歴女”なる言葉があるように、歴史を勉強する女子が増えているとか。今や女性が歴史に関心を持つことが社会風潮になっていますね。
歴女が増えたのは、若い女性が大河ドラマや小説などで主人公に魅かれ、物語の舞台となった史跡や城跡などを訪れることが多くなったということ。自治体なども観光客を増やすためにいろいろな歴史イベントを企画するなど、そうした相乗効果もあって歴史に関心を持つ女性が増えてきたと思う。また、国内だけでなく海外に出る日本人観光客も増えているが、単に観光名所を回るだけでなく、訪問地の歴史的な背景を知った上で旅行すると知識も面白さも倍増する。今は便利な時代で分厚い歴史書を持って旅をしなくても、スマホや電子辞書でいろいろなこと、例えば建築様式や活躍した人物など何でもその場で調べられるので関心の度合いが深くなり旅行の幅が広がる。その分、知識が増え楽しみが増していく。国内ばかりでなく外国に出る人が増えれば増えるほど歴史への関心は高まっていくと思う。
――佐藤先生は今年4月から札幌市内でNHKカルチャーセンターでヨーロッパの歴史講座を持っておられましたが、そこで取り上げたテーマは何ですか。
ひと口に歴史といっても私が受け持った講座は西洋史。カルチャーセンターで学ばれる方は女性が多いということで、近代に活躍した「女帝」をテーマに取り上げた。「歴史の影に女あり」という言葉があるように、歴史をみると表舞台では男性が牛耳っているように見えるが、実は女性が動かしている例は結構ある。
ただ、今回の講座では裏舞台ではなく、世界の表舞台で活躍した女性を選んだ。例を挙げるとエリザベス1世、マリア・テレジア、ビクトリア女王、イザベル女王、ポンパドール夫人、エカチェリーナ2世の6人。この中でもポンパドール夫人は、歴史の教科書の中では表舞台に登場していないものの、第一線に立った女性として取り上げた。ルイ15世の公妾(寵妃)で本来なら表舞台に立てない立場だが、堂々と立ちまわったところが彼女の偉さだと感じる。美貌と賢さと才気を持ち合わせたポンパドール夫人は「私の時代が来た」との決め台詞を吐いて、寵妃の座とフランスを守り続けていった。ルイ15世から全幅の信頼を得たポンパドール夫人の功績は当時の文化様式であったロココ時代を牽引(けんいん)し、また当時の哲学思想の中心であった百科全書派と呼ばれる啓蒙思想家を擁護していった。国際政治の上ではハプスブルク家のマリア・テレジア、ロシアの女帝エリザベータとともに七年戦争(1756年~63年)を戦い、その主役の一人を演じるなど異彩を放っている。
――歴史を勉強する中で、国同士の国益を懸けた駆け引きといいますか、パワーバランスを巡っての戦いなど現在でも通じるものがあり、歴史を学ぶ面白さでもありますね。
マリア・テレジアがオーストリア・ハプスブルク家の後継者になった直後にオーストリア継承戦争(1740年~48年)が勃発(ぼっぱつ)する。シュレジエン地方を失ったものの、マリア・テレジアはプロイセンに奪われたシュレジェンを取り返そうと準備し、七年戦争に挑んでいく。そのために彼女は怨念の宿敵であったフランスとも結託して同盟を結んだ。いわゆる外交革命と呼ばれるものだ。
一方、英国はプロイセンと同盟を結び戦争に参戦する。ただ、英国はプロイセンに資金を援助するのに留めて軍隊を大陸には送らなかった。その代わり英国は植民地でフランスとの戦争に戦力を集中させる。すなわち、フランスを大陸に釘(くぎ)付けにすることで北アメリカ(フレンチ・インディアン戦争)、インド(プラッシーの戦い)での戦いを有利にする作戦に出たわけだ。こうした外交政策を取っていったのが英国の首相ウイリアム・ピット(大ピットと呼ばれる。この時、名目上はデヴォンシャー公爵が首相だったが、ウイリアム・ピットが事実上の首相)だった。
北アメリカ、インドでフランスの勢力を駆逐した英国は産業革命を進め、後のビクトリア王朝に繋(つな)がる世界最大の植民地帝国黄金時代を築く。大ピットはその基礎を築いたことになるが、逆を言えば彼がいなければ後のブリティッシュ・エンパイアは存在しなかった。
――地域間の戦いから国同士の戦い、さらに世界を巻き込んだ戦争に広がっていくわけですね。
外交戦略上、諸国間のパワーバランスを見つめることは必須事項だが、キーワードは「敵の敵は味方」ということ。これは世界史でも日本史でも同じだが、現在に通じる言葉である。七年戦争の話になるが、プロイセンのフリードリッヒ2世は絶体絶命の危機的状況に陥った。3人の女傑がプロイセンに襲いかかったのだからフリードリッヒ2世もたまらなかったはず。しかし、女傑の1人であるエリザベータが突如亡くなり、代わったピョートル3世が皇帝につきプロイセンと単独講和を結ぶと戦況は一転する。フランスは英仏植民地戦争で敗れ、プロイセンは何とか耐え抜いて結局、シュレジエンの領有を認めさせる。このシュレジエンの獲得がその後のプロイセン繁栄の基礎を築くことになる。
一方、北アメリカを獲得した英国は、植民地に対して課税を強化するが、それに反発を強めたアメリカが独立戦争を起こす。そのアメリカを支援したのがフランスだった。アメリカの独立はフランスの支援なくして成功しなかったといっても過言ではない。英仏は百年戦争を繰り広げるなど長年の宿敵関係にあった。英国を敵として戦うアメリカにとって敵の敵であるフランスを味方につけようとするのはパワーバランスからいって至極当然の事であった。
――近年、アジアでは中国の台頭が目覚ましい。GDP(国内総生産)も世界第2位になり、AIIB(アジアインフラ投資銀行)を設立するなど経済面で影響力を強め、その一方で南沙諸島に人工島開発を進め軍事化を進める形での海洋進出にも余念がない。世界のパワーバランスという側面で脅威になっている面もありますが、歴史から学ぶことはないですか。
どの時代にも各国は覇権を勝ちとるためにパワーバランスを駆使して自国に有利に展開しようとする。中国もまた、長い歴史の中で独自の文化・文明を構築してきたが戦後、内戦状態を経て今から35年前に市場経済化を導入することで経済を立て直し、着々と国力を強化していった。2010年にGDPで日本を追い越し世界第2位の座についたことで、自信を取り戻し世界に覇権国家としての存在をアピールすべくあらゆる分野で手を打っているのであろう。しかし、歴史が語っているように力を誇示し強引に他国を侵略して成功した国はない。ナチスドイツがその例でもある。“協調”と“繁栄”が近年のキーワードであるのを見れば、各国が納得しうるルールを持ち、ともに繁栄するという思想をもつことが大事だ。パワーバランスはそうした共通の価値観をもった国同士の間で構築されることは間違いない。そのためにも国同士の相互理解は互いの歴史を知ることから始まるわけで、そういう意味で世界史を学ぶ意義は大きい。また、歴史の習得は教養ばかりでなく世界に羽ばたく基礎となる。私はかねがね「初歩は基礎であっても、基礎は初歩に非ず」と考えている。幸い、文部科学省は学習指導要領で世界史と日本史を合わせた「歴史総合」という科目をつくろうとしている。とにかく今後も世界史を学ぶことの重要性を訴えていきたい。