TPPは日本の国内問題

迂をもって直となす

有限会社田中農場代表取締役 田中正保氏に聞く(下)

補助金頼みでは経営難に/米価下落はチャンスでもある
農作物も工業製品も同じ/モノ作りと販売は両輪

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 ――TPP(環太平洋経済連携協定)が決まったが?

 これで海外の安い米が入って、米価が下がるとなると痛みを伴う。賛成か反対かとなると、誰しも自分に都合の悪いことは嫌に決まっている。

 だけど、それを一歩、外れると消費者の論理も出てくる。

 機械や資材、油を買おうが、それと今の日本経済の仕組みから見ると、農家も経済の一員としてうごめいているし、大きな渦の中で動いている。将来的に日本はどういう格好でやっていくのか考えないといけない。

 TPPというと、日本と外国の問題として騒いできたようにも思えるが、結局は日本の国内問題だ。

 TPP反対というなら、日本経済のスタイルを思い切って変える覚悟が必要となるかもしれない。原発がいらないというなら、電気の使用量を半分に抑えるとしましょうといった自分達の問題として捉える必要があるのと同じだ。

 日本では牛肉の問題も騒がれたし、オレンジやミカン、サクランボでもそうだった。

 その時、これで牛飼いはダメになる。ミカン農家は潰(つぶ)れる。サクランボ作りはダメになると言われたけど、実際、それなりに牛飼い農家は残っている。カルフォルニア産サクランボがどんと入ってきても、山形のサクランボはそのまま、単価が2倍、3倍になっても残っている。

 多分、米の世界も同じだ。値段が下がるということは、流通が絡んでのことだから、一方でいいものは上がるということを意味する。

 ――活力も競争力もある田中農園のようなものが、あちこちにできれば、TPPなんか何の問題もない気がするが、大規模農業自体がそれほど普遍化していない。どこに問題があるのか。起業家精神をもった農家が少ないからなのか?

 一つは、農家というのは、あまり変化を求めない。春になれば種籾を落として、それから田植えをして、いつ収穫するというのが一番いいやり方だとすると、何十年たってもそのやり方が一番いい。世の中が変わってきて、それで自分たちの生産スタイルも変えていくというのは、ある面、苦手な人たちだ。

 農家というのは黙々と一生懸命、作ったものを農協に出したり、市場に出したりする。今は、きちんとした販売ができないとやっていけない。モノの流通からするとそういう論理になるが、それを農家出身の人はしていない。かえって脱サラだとか、ほかの業種をやっていた30、40代の人が農業に参入してきて、いいモノを作るということと、いいモノを販売するというのは両輪なんだという認識をもっていたりする。

 工業製品と天候を相手にした農業製品は違うと言う人もいるが、基本的には同じものだ。

 ――作物の販売はどうしているのか。

 ここは米もそうだし、野菜のネギもすべてスーパーだとかレストランだとか、個人商店だとか、ストレートに出している。

 ――農協へは?

 農協とは仲はいいが、でも何を使っているかというと、農協のガソリンスタンドから買うガソリンぐらいだ。それにしても月に4、5万ぐらいにすぎない。資材だとか金融も民間銀行と取り引きしている。農産物となると農協出荷はない。

 ――当初、市場開拓の苦労は相当あったのでは?

 小さなところから始めたから、クチコミからだ。そうした輪を広げてきただけだ。単科農場で売るルートを持っているからそんなことができると言われるが、それは与えてもらったものではなく、20年、30年かけながら自分が作ってきたものだ。

 今でこそ、農地の集積を政府が奨励したりしているが、30年前、30㌃借りてやっていた当時、「ここは北海道じゃあるまいし、何を勘違いしているのか」という批判があった。

 ――量を作ったのはいいが、売れなかったことはないのか?

 当初はそういうこともあった。だから最後は米屋さんなどに引き取ってもらったこともある。そうした量を扱ってくれるところとの付き合いも大事だ。

 ――海外に出している米はあるのか?

 私どもは出していないけど、知り合いの農家で、海外マーケットに取り組んでいるメンバーがいる。

 ――鳥取県八頭町の土地柄は、農地としての土壌的条件は良かったのか?

 いや、そんなによくない。砂利もあるし、近くに焼き物の窯があるけど、粘土もある。粘土質は干ばつになった時に困る。だから水持ちをよくする工夫が必要だった。

 ――溜池は?

 ある。溜池の機能は大事なものがある。

 ――最初に米価が下がった時に稲作に切り替えたと言ったが、普通は米価が上がった時だろうと思うが、どうして?

 一つは私が20ぐらいの時の体験からくるものだ。当時は、ハチマキ締めて、全国大会とかでワッショイ、ワッショイと米価運動をやって、それで一俵1万8千何百円だとか要求していた。

 だがそれをやっても、いつまでも米価が上がり続けることはない。

 どこかで止まって、頑張って横ばいを維持するのが精々だ。そして、いつか下がってくる。一つはそうした大局観だ。事実、農家がコシヒカリを作って一俵2万円、2万1000円ぐらいしていたものが、今、農家の手取りは一俵1万3000円ぐらいまでなっている。

 さらに米価が6%下がったら、大豆に出していた転作奨励金は20%ぐらいカットされている。米価が下がるということは、転作奨励金も下がるということだ。米価が下がって、大豆の交付金が高くなるということはないから、補助金絡みの転作はいつまでも、続けられるものではない。

 米価は下がっているが、特に食管法などといった格好で保護されている。100%近い保護されているものは動きが少ない。

 昔の食管法というのは、米を作った農家は全部拠出する必要があった。

 これだと一番いいもの作っても、2万1000円か2000円、悪いものでも1万9000円か8000円。そのコメの値段が下がるということは、流通システムの変革も絡んだ自由売買で、確かに1万9000円の米もあるのだろうけど、逆に2万5000円、3万円の米も出てくるということだ。こうした幅が出てくる。昔は肥料をやろうが、農薬をまこうが、量を多く取るというのがいい技術だった。頭はきまっているのだから。

 だけど今、米作りの主流は、肥料をどんどんやって、消毒して多くとるという米よりは、有機栽培とか作りにこだわった米作りが評価されたりする。

 ――田中農園の目標は?

 ちゃんとした安全で美味(おい)しいものを作って、それがみなさんから歓迎されて喜ばれれば、それに勝るものはない。

 そうしたら逆に農地も扱えるようになるし、モノが生産できる。今の体制から次のステップに向かっていくことが可能となる。

 田中氏の座右の銘は「迂をもって直となす」だという。大量の化学肥料や農薬をばら撒いて早く大きく育てる近代農業から距離をとり、有機栽培を基本に本当においしいもの野菜の生命力を内から引き出すような農業に徹した「回り道」こそが、本物の農業の一番の近道だったという田中氏の背中からにじみ出るような言葉だ。1951年、鳥取県生まれ。県立倉吉農業高校卒業。趣味は囲碁。独自のルートで全国へ販売網を広げている。