山が荒れると水田の致命傷に
迂をもって直となす
有限会社田中農場代表取締役 田中正保氏に聞く(上)
鳥取県の田中農場というと鳥取県で知らない人はいないし、県外でも結構、その名は知れ渡っている。同農場では、有機栽培にこだわり続け、野菜の生命力と本当のうまさが宿る作物作りに余念がない。代表取締役の田中正保氏は多くの農家から呼ばれて講演もするが、同時に日本中の意欲的な農家を訪ね歩いてじっくり話を聞く人でもある。大規模農業がなかなか定着しない日本で田中農場はなぜ成功したのか、田中農場代表取締役の田中正保氏に聞いた。(聞き手=池永達夫)
連作を可能にする水/ミネラル補給に消毒、保温効果
致命的な打撃少ない稲作/70歳でもばりばりの現役
――有機栽培へのこだわりはなぜ?
私どもは近隣の農家など210軒ぐらいから、450枚ぐらいの田を借りている。基本は土作りだ。肥沃(ひよく)な土を作って、作物が元気に育ついい条件を作る。有機物や堆肥を入れたり田を深く作るとか、排水をよくするとか、作物が成長する条件を改良しながらやってきた。その中で、なるべく農薬、化学肥料は使いたくない。そのなるべくという段階から、4分の1世紀の中で、徐々にレベルが上がり今日に至っている。
――いつから農業に関わったのか?
高校卒業直後からだ。最初はサイボクハムの名で知られる埼玉種畜牧場で、一年間の研修を受けた。ブランド化した豚肉でもよく知られた埼玉種畜牧場は、野菜もあったり温泉もあったりとテーマパーク的な手法で、一年間で約300万人の観光客が訪れる場所だ。
――田中農場には定年はあるのか。
体が元気であれば、いつまでもやってほしいが、うちの農場のおばさんたちは一様、70が定年。ただ、70からは一年一年、相談しましょうとなっている。そして75までになると、いくら元気でもそこまでにしましょうという約束だ。だから67、68というのはばりばりで、70でもなおばりばりの現役だ。
――従業員の平均年齢は?
パートのおばさんたちは、平均年齢は69ぐらいだが、実務を仕切る男連中は20、30代で平均とっても40歳前後だろう。役員が4人、正社員が9人、合計13人だ。それに半日勤務だとかパートさんが7人。大体、20人体制でやっている。
――農園の規模は?
昭和51年に、1・6㌶ぐらいの家の田と借りた30㌃の田で今の農場をスタートさせた。今は100㌶あるが、97%が借りた耕作地だ。農場の持分が1㌶で、家の田と合わせても2・6㌶にすぎない。
――100㌶というのは県内最大農家?
大山あたりで畑作やっているところはあるけど、水田ではそうなる。中四国だったら、トップ3、4人の中に入ると思う。
――豚をやめた理由は?
農地が増えてくる時代の趨勢があったからだ。離農が多く、田の面積がどんどん増えてきた。それで豚と稲作の二頭を追わずで一つに絞った方がいいと思った。
51年に30㌃を一枚借りたが、55年には13㌶まで増やした。さらに56年が20㌶、次に30㌶という増え方だったから、思い切って養豚事業は止めた。
――減反政策と密接に絡まっている?
45年に減反政策が始まった。米を作らないところにお金を出すということで46年から転作が始まった。
米を作らず、2割、3割は米以外の作物を植える。
それをやりたくないという農家から、米を作らず、すべて転作するという条件で田を貸してもらった。それで米以外の大豆や麦栽培で面積を増やしていった。
その時代は、所有している田の3割程度は、転作しないといけなかったが、貸し出された田は全部、転作するという手法で業務が拡大してきた経緯がある。
たとえば、30㌃の田が3枚あったら、1枚を畑にすれば2枚は米を作れる。
その代わり、大豆、麦を作った時に、大豆奨励金だとか加算金だとかが出るが、関係するお金は全部、貸す側に行くという条件だった。
そのころは大豆への転作奨励金も高かったし、それから集団でまとめて作ると加算金が出た。だから貸す方からすれば、かなりの収入になった経緯がある。普通の借り賃の3倍とか4倍払っていた。そういうこともあって、どんどん面積を増やしていった。
――今でも、そうした賃貸契約になっているのか?
いや、今は米が主力だ。62年、米価が6%下がった。その時、米主体に切り替えた経緯がある。
北海道の冷害じゃないが、畑作は豪雪などで10年に一回ぐらい壊滅的な被害を受ける。その点、水田は台風が来たといっても、壊滅的な打撃は受けない。半作の台風というのはよほどの台風だ。
米は安定した作物だ。ただ平成5年、東北の岩手では半作以下で、10俵とれる田で1俵、2俵ということがあった。一割、二割しかとれなかったのだ。米でもそういうことがあったが、それ以上に畑作物というのは、時に甚大な被害を受ける。
――米が安定している理由は?
はやり水を張るということに尽きる。田んぼが水で浸かっている。食物にとってなくてはならない水がたっぷりあるということと、大量の水の存在で、大気が冷えることがあっても、水の保温性のため、作物への被害が緩和される効果もある。
――田んぼの水は、服を着せているような効果があるということ?
そうだ。気温の変化を直接、受けることなく、ワンクッション置くことになる。
――小麦は連作は難しく、転作しないといけないが、米は恒久的にずっとできる。水田のパワーの源泉は何か?
それこそ水だ。例えばうちの畑で散水して水を使うといっても、1㌧、2㌧だ。それに比べ、米を作るといったら300㌧、500㌧といった単位のとてつもない量の水を使う。水を通して、ミネラル分など、いろんなものを田んぼに入れる。それと水をいれることで土壌の消毒にもなる。
さらに水の効果で、保温になったりする。一枚の田んぼで、何百年と作れる。日本のもっている水田機能というのは、すごいものがある。そこが安定につながっている原点で、2割、3割の減作はあっても、半作になることはそんなにあるわけではない。ましてや壊滅的打撃は、よほど50年に一回か、100年に一回といったものだ。これは水田がもっている機能だ。
――泥とミネラルの関係は?
水の中のミネラルをつかむ泥のパワーはすごいものがある。
堆肥みたいな腐葉土、そういうものを増やしていく。やっかいものの粘土なんか、雨がふるとヌルヌルしてぬかるし、天気になるとカラッカラになって石みたいになるけど、その土に有機物だとか堆肥をいれることで、水はけをよくしたり、非常に保肥力というか肥料を掴む力が増す。
砂は荒いが、粘土はこまい。こまいというのは表面積が広いということだ。だから器を作ったり、焼き物にするような粘土というのは、本来、すごいパワーをもっている、いい土なのだ。
――ミネラル分が多い水というのは、ちゃんと森があるということか?
漁業関係者が海にミネラルを補給してくれている森を守ろうという運動をしているところがある。だから山が荒れてしまう、痩せてしまうというのは、やはり、水田にとっても、漁業にとっても致命的な問題だ。