日本人は、祈りが足りない!

寺の在り方

真清浄寺住職 吉田日光師に聞く

 葬式を行わない直葬が関東では2割に達するなど、人々の宗教離れが加速している。その一方で、書店では仏教やスピリチュアル関係の本が並び、宗教的なものに対する関心は高まっている。新宿区牛込にある法華宗真門流真清浄寺の吉田日光住職に、日本人の心の状況と寺の在り方について話を伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

基本は先祖供養 子孫へと連なる命の流れ実感
葬式は人の死を受け止め生の意味深める機会にも

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 ――直葬が増えています。

 背景には経済的な事情や寺離れ、葬式にかかわる経費が不透明なことへの批判などがあります。今の寺に対しては葬式仏教という批判もありますが、亡くなった人を迷わず浄土に送るためには葬式は大変必要な儀式です。遺族にとっては愛する人の死を受け止め、生の意味を深める機会でもありますから、できるだけきちんとした儀式を行ってほしいと思います。

 自然葬の広がりで、海などに散骨することもありますが、宗教的に言うと、それでは魂が“住所不定”になってしまいます。永代供養の合同墓でもいいから、ご遺骨は祈られる場所に納めるべきです。

 ――日本人の信仰の基本は先祖崇拝だと言われます。

 山が多い日本では、人は亡くなるとその魂が近くの山にとどまり、祖霊として子孫を見守りながら、やがて神になっていくという信仰が育まれてきました。そうした神道の先祖崇拝の信仰があるところに仏教が渡来して、神仏習合という日本人の信仰が形成されたのです。

 聖徳太子以来、仏教は日本を統合する教えとして広められ、それが日本人の倫理性を高めてきました。日本は大陸をはじめ南方や北方からいろいろな人々が渡来して形成された多民族国家ですから、宗教も多様だったはずです。それを深遠で広大な理論を持つ仏教でまとめたのは、先人たちのすごい知恵です。その意味では、明治新政府が神仏分離令を出し、廃仏毀釈が行われたのは宗教政策の失敗だと思います。

 祈りの基本も先祖供養で、祈りを深めることで、先祖から私、そして子孫へと連なる命の流れを実感できるようになります。また、命の根源にある如来、宇宙の根本的な実在を感じることが、自分の身を正し、心の平安を得ることにつながります。

 祈りは神の意に乗ることで、人類の幸福、世界の平和を願う神の思いに共鳴することです。病気などの不幸からの救いを求めることから祈りを始めても、最後はそこに行き着かないといけません。入り口として、自分に合う宗教で祈りを学べばいいのです。

 ――脳科学でも祈りの大切さが指摘されています。

 大脳・小脳と脊髄(せきずい)をつなぐ上部頸椎(けいつい)の上にあるのが脳幹で、意識の抑制や生命維持の機能を持っています。心臓などの内臓が、寝ている間も動いているのは、脳幹が指令を出しているからです。その脳幹にある硬膜がストレスを受けると硬直してきます。そのため免疫力が低下して、がんなどを発病します。これだと思う宗教を信仰し、祈りを深めると、そこが活性化されます。硬膜が柔らかくなり、免疫力が高まるからです。

 ――日蓮聖人が開いた法華宗(日蓮宗)では、法華経が最も重要な釈尊の教えとされています。

 法華経は、釈尊は久遠実成(くおんじつじょう)の仏であることが説かれています。釈尊は35歳で悟りを得て仏になったのではなく、永遠の過去からの存在である仏が、地上に肉体をもって現れたのが釈尊であるという教えです。

 仏は宇宙の根本にある全知全能の存在で、阿弥陀如来がサンスクリット語でアミターバ(無限の光をもつもの)、あるいはアミターユス(無限の寿命をもつもの)と呼ばれたように、光そのものです。その宇宙の根源を、一神教では神、儒教では対極と呼んでいます。ですから私はモスクで祈ることもできます。それを言葉に表したのが妙法で、お題目を唱えることにより仏と心を通わせることができるのです。

 ――住職は社会活動にも熱心に取り組んでいます。

 檀家のために働くのが第一ですが、寺を守り、経を唱えているだけの時代は終わっています。これからは仏教も社会に打って出ていかないと、社会から取り残されます。これからの30年で、寺の3割がなくなるだろうと言われています。檀家が減少すると寺を維持できなくなりますから。

 当寺は、2005年にインドのブッダガヤに小学校「サッダースクール」を開校しました。今年10月には、スリランカのコロンボ郊外に、100人規模の小学校を開きます。私がスリランカ支援に力を入れているのは、日本は同国に大きな恩義があるからです。

 戦後、日本の独立が回復された1951年のサンフランシスコ講和会議に、英連邦内自治領セイロンの代表として参加した、後に初代スリランカ大統領になる大蔵大臣のジャヤワルダナ氏は、他の代表たちが日本の南北分断統治や賠償金を求める中、釈尊の言葉を引用して、「憎しみは忘れ、慈愛で返していこう」と対日賠償請求権の放棄を唱え、日本を国際社会の一員として受け入れるよう演説したのです。

 これが、厳しい制裁措置を求めていた一部の戦勝国を動かし、日本が国際社会に復帰できる道を開きました。

 その恩に報いるため、私の弟子のポルピティ・グナナランシー師の寺の境内に小学校を建設しています。

 ――日蓮聖人は鎌倉時代、元の襲来を予言して「立正安国論」を幕府に提出しました。その後も、日蓮宗は近代日本の思想の一つになるなど国家形成に深くかかわっています。

 日蓮聖人は漁師の生まれとされていますが、後鳥羽上皇の御落胤(ごらくいん)が真相という説が有力です。後鳥羽上皇が隠岐の島に流されたとき、身の回りを世話していた梅菊(伊賀局)という女性との間に生まれ、その後、千葉・小湊の鯛を釣る漁師、会渡権守(わたらいごんのかみ)に預けられたのです。法華宗本門流大本山本興寺(兵庫県尼崎市)に所蔵されている聖人の護身用の刀に菊の御紋が入っているのも、その証拠の一つとされています。だから鎌倉幕府も処刑することができず、佐渡島に遠島の刑にしたのです。日蓮聖人の教えの核心には国家観があり、国家存亡の時には必ず法華経の行者が現れてくるのも、そうした歴史からくるものだと思います。

 ――住職は諸宗教との対話にも積極的です。

 一切経の結論を書いているのが法華経ですが、例えば一念三千(人の一念には宇宙の全存在が備わっている)の理論を詳しく説いているのは華厳経です。また、法華経にある阿弥陀如来の救済は阿弥陀経が詳しいなど、一切経は互いに補完し合う関係にあるのです。ですから、私は浄土宗系のお寺に行くと抵抗なく阿弥陀経を上げることもできます。

 2007年には、アメリカ・ニューヨークで開かれた宗教者の国際会議に参加し、グラウンド・ゼロで諸宗教の代表と祈祷しました。11年には当寺で東日本大震災被災者の慰霊祭を、神道とキリスト教の代表と共に行いました。教えの内容は異なりますが、祈りによって諸宗教との対話・交流は可能になります。今は諸宗教が手を取り合って世界平和のために活動しなければいけない時代です。

 吉田日光師は、世界三大荒行の一つとされる日蓮宗の100日荒行を7回達成した霊力ある僧侶で、毎朝の水行を欠かさない。釈迦本来の教えを受け継ぐタイのワットパクナム寺でも修行。1953年、福井県の生まれで、京都産業大学経済学部を卒業後、父の日孝師が住職の真清浄寺で得度し、立正大学仏教学部を卒業。福井市にある本性寺住持などを経て真清浄寺副住職になり、2001年にはインド・ブッダガヤに日光寺を開き、05年ブッダガヤに小学校を開校した。東久邇宮文化褒章を受章。日本・ネパール、日本・スリランカ文化交流友好協会会長。名誉佛教学博士。牛込佛教会会長、東京都仏教連合会理事で、著書は『国を護り人を救う佛教』。