生活に言及多かった江藤淳
人の生存を決める要素
「書く」行為の基盤に危機感
新設の大学教員に採用が内定したところ、「学内では政治活動をしない」との誓約書の提出を求められた人物がいる。彼はしばし悩んだのち、誓約書の提出を拒否した。大学側は採用を取り消した。
「学内では」という限定があるのだから、どうしても政治活動をしたければ学外でやればいいわけだし、「政治活動」の定義もアイマイだから、まずは誓約書を提出して教員の立場を確保し、その上で問題になった時点で改めて考える、という選択肢もあったのでは?と思った。
「政治活動をしてはならない」という大学側の方針をいささか真剣に受け止めすぎたのではないか、とも思えた。で、彼をよく知る人物(別の大学の教員)に聞いてみたところ、「彼は生活に余裕があるから、そうした選択ができたのだろう」との回答。
「政治信条の問題ではなく、生活の問題だったのか!?」といささかはぐらかされた思いがした。が、政治信条は当人にとっては大事なものだろうが、そんなものよりももっと重要なテーマとして、「生活の必要」という問題があった。実際は、生活の必要、不必要が彼の進退を決めた。生活という要素の大きさを物語る。
生活に余裕があるわけだから、「政治活動をしてはならない」などといううっとうしい制約を受け入れてまで就職しようとは思わなかった。単純な話だ。それが彼の現実であって、その選択は今後自身で背負って行くしかない。
その上で言うのだが、私が仮に彼と同じ立場に置かれた場合、誓約書は出すだろう。そもそも、政治には特別の関心はないので、学内外問わず、「政治活動」をしたこともする予定もない。世の中に「政治好き」は多いのだから、私のような人間がおずおずと政治に参入する必要もない。「やりたければそれもよし」で終わり。政治活動をするつもりが元々ないのだから誓約書なぞ出すまでもないのだが、「どうしても書いてくれ」とのことであれば、「うっとうしい話だ」とは思いながらも書いて提出するだろう、ということだ。
が、生活となれば話は違う。生活していない人間はない。死刑囚であろうがテロリストであろうが、生活している。生後半年の赤ちゃんも、動物も昆虫も生活している。スタイルの違いはあれ、生きている以上は生活するしかないように、人間を含む生物世界はできている。
私の生活の場の一つである文壇という世界。「自分にはとうていできないだろう」と思えるようなドギツイ言動を行った人々(小説家が多い)の話が「噂」という形で伝わってくる。そうした噂は、10年以上もたって、当人が死んでしまった場合など、まれに文章として発表されることはあるが、普通は公にされることはない。
「そんなことまでしなくても……」と当方が思うようなその種の言動は、決まって「世に出たい、認められたい」という強い願望に根差すものだ。手練手管であったり、抜け駆けであったり、ドギツイ売り込みであったり、仲間に対する裏切りであるなど、様相はいろいろだが、根は同じだ。
そうした情報は、噂話の形で伝わってくる以上、その噂自体が相手を貶(おとし)めようといった動機で伝えられることもあるわけだから、全てが真実を言い当てているとは限らない。さりとて、噂は常にそうであるように、一面の真実は含む。
噂を立てられた当人にその後直接対面することもある。その時、こちらがまず知りたいのは、「彼(女)自身は自分に関するよくない噂が立っていることを知っているのだろうか?」ということだ。知っている場合もあり、知らぬ場合もあるのだが、よくよく話を聞いてみると、理解できることも多い。「彼(女)も生きようとしたんだな……」と、肯定はできないものの、ある程度は納得するケースもしばしばだ。
それにしても、生き残るのはしんどいものだ。「それぐらいやらないと生き残れないものなのか(自分だったら、そんなことまでして生き残ろうとは思わない)」などと、考えることは今でも多い。
戦後の文学者の中で、生活について言及することが多かったのは、江藤淳(1999年没)だ。生活すること、生存することについて、最も深く考えていた。例えば小林秀雄にはそうした発想は全くない。おそらく、生活するとはあまりに当たり前のことなので、そんな自明な話を掘り下げる、という選択はそもそもなかったのだろう。
そんな中、江藤さんは生活というテーマを手放すことなく書き続けた。それだけでなく、会話の中でも、例えば「あなたはどうやって生活しているの?」などと聞かれたこともあった。生活すること、生存することへの強い関心の底には、生活が一定の状態に保たれていない限り、「書く」という行為の基盤そのものが失われる、という強い危機感があったのではないか、と死後15年たった今考えている。「生活」恐るべし。
(きくた・ひとし)