孫子に行き着いたリデルハート 京都産業大学名誉教授 間宮茂樹氏に聞く
戦略論を考える
北朝鮮の核開発、中国の軍拡と海洋進出という現実の脅威に対して、わが国は万全の態勢で臨まねばならない。その点で、安倍政権の取り組みは集団的自衛権の行使容認も含め、当然の措置と言えよう。安倍晋三首相を「戦略的発想ができる卓越したリーダーだ」と評価するのは、『戦略論の名著』(中公新書)の執筆者の一人で、国際政治学が専門の間宮茂樹・京都産業大名誉教授である。同氏に戦略の重要性などについて聞いた。
(聞き手=池田年男)
クラウゼヴィッツを超克/流動的視点で時代先取り
武器輸出の解禁を/平和主義者が戦争を招く
――『戦略論の名著』の中で、間宮先生は英国のベイジル・ヘンリー・リデルハート(1895~1970)の項を担当した。まずこの人物について教えてください。
東西の両文明を代表する戦略家といえば、誰しもが東の孫子、西のクラウゼヴィッツを思い浮かべる。クラウゼヴィッツの『戦争論』が19世紀の戦略理論であるのに対し、リデルハートの『戦略論――間接的アプローチ』はそれを超克したものと言える。しかも、彼は長い思索の果てに、孫子に行き着いた。
リデルハートは、「20世紀で最も著名な戦略家」と評価されている一方、強い個性も影響して毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人でもある。クラウゼヴィッツが過去の「ナポレオン戦争」を素材にしたのに対し、彼は直面する現状と未来を見据え、時代を先取りする流動的な視点で論じた。だから自分を預言者だとも称した。
――戦争の形態は時代とともに変化する。それについては、どんな考え方をした人か。
似通った条件のもとでは、同じような事件や戦争は起こりうるが、過去のタイプの戦争は起こらないと考えるべきだ。今日の安全保障を考える上でも、今後起こりうる戦争の形態を予測し、その対策や戦略をあらかじめ講じておくことによって、その危険性を回避し、平和を確立する道を見いだしていかねばならない。それはリデルハートの発想法でもある。
それから、強調しておきたいことがある。まず、多くの人は「戦略」という言葉を見聞きすると非常に高度で難しく、あるいは怖いというイメージを抱くと思うが、内容を理解してしまえば、常識論、一般論だということ。日常の生活や仕事に追われているうちに、当たり前の常識論を忘れたり、本質を見失ったりしがちだ。
もう一つ。世の中は常に変化しているから、現代人は無意識のうちに新しいものがいいという考え方になりやすい。科学技術こそは進歩発展につながっているが、宗教・哲学・芸術という分野は、その本質は進歩発展と関わりがない。それらは時代を超越している。時代に左右されない真理がある。それは戦略論にも該当することだ。
――どうも日本人は元来、戦略的な考え方が下手というか苦手なようだが。
和辻哲郎が『風土』でも書いているように、日本という島国特有の気質、体質に負うところが大きい。湿気の多いモンスーン地帯に属し、稲作中心のお国柄で、農業は受容的、忍従的、協調的なものだ。対抗や克服といった意識は生まれにくい。
また、周りを海に囲まれて他国からの侵略や民族移動といった生存の危機や闘争経験がほとんどないので、極めてシビアな国際政治に対する感覚、外交技術、戦略眼がなかなか育まれなかった。言い換えれば、政治的にもまれてこなかったとも指摘できるだろう。
ただし、歴史を振り返ってみると、必ずしも戦略的な対処ができなかった民族だとは言い切れない。古代においては聖徳太子がいい例で、太子は政治家でもあるし、哲学者、宗教家でもあるし、優れた外交官でもあった。近いところでは明治期の指導者たちがいる。日露戦争では、ロシアに勝つため、陸海軍の戦略も外交政略も実に有機的に働いた。
当時の指導者たちに共通していることは、武士道精神であり、普遍的教養として朱子学を身に付けていたことだ。朱子学は合理主義の立場に立ち、神秘性を排する思考法を持つ。江戸中期から明治中期までの日本の知識人の骨髄にまで染み込んでいた。
――戦後の日本の外交・安全保障政策についてはどう考えるか。
いわゆる平和主義に基づいて行われてきたと言えるが、それは確固たるものというより蜃気楼のようなものだ。平和の確保のためには、それを可能とし、保障する力の裏付けが必要とされる。しかし、戦後の日本人は敗戦のショックで、厳しい国際政治の現実を直視することを忌避したために、そういう自明の理を軽視あるいは無視してきた。
今回の著書で一橋大学の野中郁次郎名誉教授も言及しているように、教育現場でも平和主義というテーゼのもと、「戦争はよくない」「平和を希求すれば平和が訪れる」という考え方が教えられてきた。そういう論調を繰り返すマスコミもある。しかし、「戦争イコール悪だから忌避する」という単純な考え方でいいはずがない。
――「治にあって乱を忘れず」「備えあれば憂いなし」という警句を思い起こす。
平和を望むのであれば、過去の戦争から学び、研究すべきだ。リデルハートは「未来は、過去からと現在の延長線上に横たわる現実である」と語っている。過去からの歴史つまり経緯と、今日直面している現状の本質と問題点を洗い出し、それらを分析し、それに基づいて未来へのイマジネーションを働かせ、対策を講じる。それによって戦略を構築することが可能となるわけだ。
同時に、危機というものが常に具体的である以上、それはどのようなものなのかを把握し、それへの対処方法つまり戦術を未然に、考え得るいくつものシナリオを描いて、複数用意しておかなければならない。そうしてこそ、危機が生じた際に迅速果敢な対処ができ、被害を最小限に抑えることができる。それはまた、そこに至る危機を事前に回避させることも、さらには「平和の道」への戦略を構築することをも可能にする。
世界が不安定化し、日本の周辺も深刻で予断を許さない状況にある今ほど、政治家はもとより責任ある立場の人々に、そのような戦略的思考、リアリズムに基づいた思考と判断が求められている時はないと痛感する。
――その点では、ようやく安倍首相になって本格的な安全保障体制が整いつつあると思うが。
最近の政治家の中では珍しいぐらい戦略的発想の持ち主だと心強く思っている。このままで行けば、戦後でも屈指の優れた宰相になるのではないか。
さらに注文するとすれば、武器輸出の解禁だ。中国に対する抑止力として有効だと考える。実戦配備されている自衛隊の戦車は世界最高水準のもので、これを例えばインドに輸出してあの国がそれを配備すれば、当然ながら中国はインドの方向へ防衛力を割かざるをえない。
40ノット以上のスピードで走るミサイル艇もある。それをフィリピンやベトナムに提供すれば中国の膨張を抑えられる。量産で価格も安くなる。こういうことを提言するのは、あくまでも日本の安全と国益を守るためであり、現実の国際情勢に対処する一つの方法として検討に値するはずだ。経済効果も小さくないから、アベノミクスにおける第4の矢に位置付けてもいいのではないか。
改めてリデルハートに戻ると、彼はこうも言っている。「平和愛好諸国は不必要な危険を招きやすい。というのは、平和愛好諸国はひとたび立ち上がれば、好戦国よりも極端に走りやすい傾向があるからである。好戦国にとっては、相手が簡単に征服できない力を持っていると判断すれば、いつでも簡単に戦争を中止する。」(第22章)